"おまえの涙は枯れている―――――――。"





いつだったか、そんな事を言われた事があった。
いつも笑って、喜んで。たくさんたくさん、表情を出していた。

―――――はずだった。

しかし、それは間違いだった。
それを気付かせてくれたのは、幼い頃よくみる小さな意地悪。





「おまえって、ぜんぜん泣かないよな。へんなやつ!」





泣かない…。私は、泣けていない。
転んで足をすりむいた。怒られて、悲しくなった。

大好きなお菓子を取られて、嫌な気持ちになって、悔しかった。
それなのに――――――――私は泣いていなかった。


周りの皆は苦しい思いをすれば泣いているのに、何故私は泣けないのだろう。
何故私の目からはあの粒は出てこないのだろう。
それが理由で苦しい思いをしてきた。


けれど、それはある日、唐突に訪れた。
青空に包まれた暖かな季節、一人石ころを転がしながら一本の道を歩いていた時、何処からか小さな音が聴こえてきた。

それはとてもとても小さくて、鋭く耳を澄ませないと聴き取れないくらい小さな音。
目を閉じて、音だけを辿って歩く。
いつ車が通るかも、人が通るかも分からないその道を、ただ静かに歩き続けた。





「あ…」





風を感じ、目を開けたそこは大きな家。

とても美しい花々が咲き誇り、今で言うとセレブな家だった。
まるでお屋敷と言えるそこから春風に乗って流れてくる優しい音色。


―――――見つけた。


好奇心を積もらせて大きな格子に手をかける。
けれどそれは硬くて、冷たくて。

耳に流れてくる音色は優しく温かいのに、この格子があるせいか、その音色がとても切なく感じた。





「…泣いてるの?」





まるで大きなお屋敷に閉じ込められているように、その音色は徐々に力を無くしていった。

あんなに心地よく聞こえていた音色が、いつしか誰かが泣いている響きを持ちはじめ…。
気付いた時には、その両頬はその瞳から溢れる雫によって濡れていた。





「あれ…わたし…?」





―――――泣いてる。

触れたそれは指先を濡らして溶けるように消えた。
何度触れてもそれは指を、頬を濡らしていくだけ。





「あ…」





反射的に見上げたお屋敷からは、いつの間にか音は消えていた。
もう何も聞こえない。どれだけ耳を澄ませても流れてこない音色に、ただただ溢れかえる涙だけは止むことはなかった。


ほんの僅かな時間。一瞬の出来事のように感じられた霞ゆく音楽。
春のように優しく、暖かな曲。
唄うようにして流れていたメロディーは、ただ切なさだけを残した。

けれども、一つ、大切なものを贈ってくれた。
それは今まで一度だって流れてはくれなかった、たくさんの【涙】――――――――――。














遠くの方で音がする。耳を刺激する高い音は直耳元で響き、煩わしそうに顔を歪めた少女はその発信源をバシッと叩いた。


途端にプツリと消えるそれ。
まだ寝るとでも言いたげに身を毛布の中へと隠すが、しばらくして勢いよく起き上った彼女は慌てて辺りを見渡した。

鷲掴んだそれは先ほどの発信源である目覚まし時計。
覗きこんだ時計の短針は7、長針は8を指そうと僅かに動いた。





「た、大変!」





バタバタと騒々しくベッドから降りた彼女は足速に2階の自室から1階の洗面所へ向かい、顔を洗っては身支度を整える。

制服に腕を通して時計を見れば、あれから5分を過ぎようとしていた。
更に慌て出した彼女は急いで鞄を手に取り、再び1階へと戻る。台所からパンを一つ口に咥え、玄間に向かっては勢いよく家を飛び出したのだった。


見上げた空は雲ひとつない快晴。
気持ち良い程の青を目に収め、少女・悠梨ゆうりは遠くで鳴り響く別の音色を耳に本日一番の速さで学校へと走った。





<目次     第1話>