「はぁー…」


「…どうしたの、お母さん?溜息なんてついて」





ついにカレンダーも6月に入り、本格的な梅雨の時期がやってきた。
今日の天気は決して晴れやかなものではないが、薄い灰色の雲が空全体を覆っている。

まるで空そのものの気分を映したように憂鬱そうな表情を浮かべる悠梨ゆうりの母・夏苗なつえは、再び薄っすらと溜息をついた。





「最近、新しい原石を探してるんだけど…これがなかなか見つからなくて」


「げ、原石?」





「そう!」と今まで項垂れていた顔を勢い良く上げ、夏苗は突然足元に置いていたカバンから一枚のポスターを取り出す。
それをバッと悠梨へと広げて見せれば、そこにはなかなかにイケメンな男子4人が眩しく写っていた。





「この子たちは【ZESTゼスト】と言って、今私の事務所に所属している子達の中でイチオシのアーティストなの!
 どう?【Sky Blue (S.B)スカイブルー】よりカッコイイでしょ?」





ずずいっと彼女の視界いっぱいにポスターを押し付けてくる母の手を押しやりながら苦笑を浮かべる悠梨。
彼女の中では今の一番はどうやっても【S.B】。そう簡単に頷く事は出来ない。

ここ2ヶ月で彼女は【S.B】のメンバーである瀬那せなをはじめ、他のメンバーとも親睦を深め、和解した。
何度かハプニングに巻き込まれ、頭を悩ませる日々があったものの。今振り返れば、それがあって”現在いま”がある。
悠梨にとってそれらの出来事は忘れられない思い出の一つとなったのだ。





「【ZESTこのこたち】みたいに、見た瞬間、こう…”これよ!”と思える人材が見つからなくて。ちょっと頭を悩ませているのよ」


「そうなんだ…。それにしても、私今までいろんな音楽番組見てきたけど、この人達のこと見たことないよ?」


「ああ、それはそうよ。彼等は今までライブハウスとかでしか活動していなかったもの。けど、最近やたらと表に出たがってるのよね」


「どうして?」





悠梨が問うと、夏苗は苦笑交じりにテレビを指さした。
そこには自分が今最も気にしている存在が映し出されていて。

『自分に合った相棒は必ず見つかる。探し求めた携帯、Decomu』

カラフルな髪色をし個性豊かなメンバーが揃う、今話題となっているアーティスト【S.B】。
1人1人自分の髪色と同じ色をした携帯を片手にクールな表情でテレビに映った。
この影響で携帯の売り上げも上下しているとニュースで流れたこともあるが…。





「もしかして…【S.B】に影響されて?」





夏苗の意思を悟った悠梨はぽそりと告げる。
こくり、と頷いて見せた母はゆっくりと姿勢を真っ直ぐにし、うーんと背筋を伸ばした。





「まあ、それは【ZEST】に限った事じゃないけどね。ブラウザー事務所に所属しているアーティストにライバル意識を持っているのはもっと多いんだから」





夏苗はにっこりと笑みを浮かべると、悠梨にポスターを渡して立ちあがった。
「彼らより『Pectil事務所』の子たちに興味持ってほしいものだわ」夏苗はカバンを片手に自室へと足を向けた。

悠梨は彼女の背中を見送り、そっとポスターに目を落とす。
幼い頃に何度か彼女の事務所に訪れた際にたくさんのアーティストを目にしてきたが、有名で実力を持つ人ほど眩しく見えた者はない。
彼女が言う『原石』がいずれ『宝石』に磨き上げられた時、それは世界中にその名を広めるのだ。





「この人達も、いつか瀬那君達と同じステージに立つんだ…」





じっとポスターを見つめていた悠梨だが、





『突撃☆ドキドキインタビュー!今日は男女問わず大人気のアーティスト【S.B】のASUKAさんとREKKAさんにお越し頂きました!』


『よろしくお願いします』





いつの間にかその手にはポスターではなく、録画するためのリモコンが握られていた。

































翌朝、いつも通り学校へ着くとグラウンドでは朝練をしている生徒や、体育祭に向けて練習をしている生徒が見かけられた。
かなり気合が入っているようで、大声を上げながら走る彼等に悠梨は圧倒されながら校舎へと入って行った。

靴箱で上履きに履き替えるため靴を脱ごうとした時、「あの」と躊躇いがちに声をかけられる。
ふと顔を上げると、そこには1学年を表す色がついた上履きを吐いた女子2人が立っていた。大人しそうな子と気の強そうな子だ。





「あの、先輩ってもしかして嘉山かやま先輩と同じクラスの人ですか?」


「あ、はい。そうですけど」


「あ!この人あの時嘉山先輩と手を繋いで走ってた…!」


「え」





彼女たちが言う”あの時”とは、思いつく限りきっと瀬那がASUKAの正体だとバレた時だ。
確かにあの時は逃げる事で精一杯だったけど、逃げ遅れそうになった自分を気遣って彼に手を引かれて走った覚えがある。

今思い返しても嬉しいやら恥ずかしいやらな出来事だったが、こうしてハッキリ覚えている人もいるのだと知ると、
やはり嬉しさよりも恥ずかしさが上まるのは悠梨にとっては当然だった。





「え、えっと…2人はもしかして、せ…嘉山君に用があるのかな?」


「あ、あのっ、その…」





大人しそうな女子がぽしょぽしょと何か言いたげに唇を動かす。しかし、声があまりにも小さすぎるため悠梨は少し困り顔。
その時、少しずつ賑やかになりつつあるその場に、他の女子生徒の黄色い声が響いた。

振り返ればまだ少し幼さが残る顔をした、黄緑という特徴的な髪色をした少年が軽い足取りで入ってきた。
先輩、同級生問わず周りに笑顔で挨拶を振りまく彼はあの【S.B】メンバーの1人。
その姿を目に納めた途端、傍にいた大人しい後輩の女子の顔はぼっと真っ赤に染まった。





「あ、悠梨センパーイ!おはようございまっす!」


「おはよう、燈弥とうや君。朝からとっても元気だね」





彼女に気づいた燈弥は相変わらずな笑みを浮かべたまま傍までやってくる。そしてその笑みは傍に立つ2人に向けられた。

この親しみやすい笑顔と接し方が悠梨にとっては丁度いい心地良さをもっており、瀬那と同じ芸能人とはいえ彼より緊張感をもたないで話せる。
意識の違いだとは分かっていても、こういった安心感を持って接する事が出来るようになったことは彼女にとってはとても喜ばしい事なのだ。





「あれっ。センパイ今日は1人?いつも一緒にいる山口センパイと香野内センパイは?」


「2人は朝から部活と委員会で早く登校してるの。だから今日は1人なんだ」


「えーっ、そうなの?言ってくれれば一緒に登校出来たのにー」





「センパイのいけずっ。」燈弥は業とらしく頬を膨らます。
苦笑する悠梨の傍で先ほどから傍にいる後輩の女の子の1人は更に顔を真っ赤にさせ、もう1人はそんな彼女に苦笑い。

そこで、悠梨は先ほど自分に何かを聞きに来た彼女たちを思い出し、そろりと視線を向ける。
それに気づいた気の強そうな女子は、紅潮している友人の代わりに「ま、また後で伺います!」とだけ告げ、彼女を連れて去って行った。

潔い去り方にきょとんとする悠梨と燈弥。
結局何が言いたかったのだろうか。小首を傾げて「うーん」と考える悠梨を不思議そうに見つめていると、彼の耳にはからから笑う声が聞こえてきた。





「やっぱいつまで経ってもモテモテだな、瀬那ー。あー、羨ましい」


「…ったく、他人事だから簡単に言えるんだ。代われるもんなら今直代わってほしいもんだ」


「あ!瀬那、タケジュン!おっはよー!」





燈弥の声にはっとした悠梨は慌てて同じ方へ顔を向ける。そこには疲れきった表情の瀬那と彼の幼なじみであるじゅんが居た。

衣替えの期間に入り、淳は半袖、瀬那は長そでブラウスにベージュのベストを着用している。
先日まで見ていた格好とはまた少し違う彼に、悠梨は静かに胸の高鳴らせた。





「おーっす、燈弥。川崎さんもおはよー!」


「おはよう、瀬那君、岳内たけうち君」


「聞いてくれよ。久々に瀬那と登校してたらそこら中から視線が集まって、学校に着いたら勢い増して絡まれまくりなんだ!」


「助けようともせず、1人腹抱えて笑っていた奴は友人じゃない」


「酷ぉっ!つか、あんな女子の群れの中に入って行けるほど俺度胸ねーし!」


「はぁー…。見ろ。お前のせいで髪も服も酷いもんだ。女子っていうのは何であんなにも集団になると強くなるんだ…」





重たい溜息が瀬那の口から吐き出される。
相当精神的にも肉体的にも疲労がきているようで、悠梨はあわあわしながらも、そうだと思いだし、カバンに入っていた紅茶味のアメを瀬那に手渡した。





「あ、あのっ。良かったらこれ食べて元気だして、瀬那君。その、こんなことしか出来ないのですが…」





―――――ズビシッ。
悠梨がしゅんとなりながら俯きかけた瞬間、それは見事脳天に命中した。

ぽかーんとしながらアメを片手に目の前の彼を見上げる。
瀬那はそんな彼女に一つ小さな息をついてその手にあるアメを摘まんだ。そして何度か辺りに目を配らせる。
そのままピリッと小さな花模様の絵柄が描かれた袋からアメを取り出すと、彼はなんの躊躇いもなくそれを口へと放った。





「ん。結構イケるな、これ。どこのやつ?」


「あ、これは…」


「おいおい、いいのか優等生の瀬那さーん?ここ学校ですけど?」


「常に早弁しているお前に言われたくはないな、タケ」


「そうだね。この前も確か昼休み前に食べてたもんねー」


「げっ。お前も知ってんのかよ、燈弥…」





「うわー」と声を漏らす淳を横目に瀬那は悠梨が取り出したアメの入った箱を覗きこむ。
すぐ傍で彼の深海色の髪が揺れ、それだけで悠梨の鼓動は激しさを増した。





(うう…。すごく近いよ)





彼女の心境を知るよしもない瀬那は、肩が触れ合う距離にあるにも関わらず彼女の隣で「ああ、ここのか」と頷いている。
だんだんと緊張と嬉しさと焦りが混ざり合い、半分パニックニ陥りかけたところで燈弥がHRが始まると教えてくれる。

漸く離れた距離間に安堵を漏らすも、その離れてしまった分だけ開いた隙間はやはり寂しさを感じさせた。



燈弥と別れて自分のクラスに着くと、相変わらず女子からは瀬那を迎える黄色い声が広がる。
けれど、此処でのそれは瀬那にとっては苦ではない様で、彼は声をかけてくるクラスメイトを邪険に扱ったりはしない。

他のクラスと比べると同じクラスの女子は彼への気遣いは上手い。
あまり騒いだりされるのは好まない事を同じクラスになってから知っているからだ。
その辺は以前と変わっていないため、その分彼にとっては居心地が良いはずだ。





(うーん…)





それはとても良い事だ思う。けれど。
悠梨はどこか複雑な心境にいた。今まで猫を被っていたとはいえ、相変わらず男女問わず人気者だった瀬那。
けれども、彼の本性を知っていたのはこの学校では限られた人だけ。その内の1人が自分であったことはやはり嬉しい。

しかし。

今はそれはもう無用なもの。
彼は素でこうして学校生活を送っている。彼の本当の姿はもう皆に知れ渡ってしまった。
特別なのは、決して自分だけではない。既に全国に広がってしまっているから。





「欲張りだな…私」





ずっと憧れの的だった。ずっとずっと、尊敬していた。人として、好きだと思っていた。
それは今も変わらない。
けれども、やはり、寂しいのかもしれない。

喜ばしい事なのに、自分にとってはそれは少し受け入れ難い事実だった。


悠梨は静かに視線を上げて前を見る。そこには相変わらずクラスメイトに囲まれている瀬那の姿。
以前とは違う、隠されていない素直な笑顔。彼と同じように笑うクラスメイト達。

悠梨は小さく首を左右に振ると彼等から視線を外し、気を紛らわせるように机の中から教科書を取り出した。

































時刻は昼休み。
今日はいつも一緒に居る茜とあやのはやたらと忙しく、2人して部活と委員会の集まりがあって出てしまった。
2人が居ない時は淳が率先して彼女を誘い、瀬那と燈弥の3人で昼食を取るも、今の瀬那は再びたくさんの生徒に囲まれている。

前を見れば淳と視線が合い、彼は肩をすくめて弁当を片手に教室を出て行ってしまった。
この状態では瀬那を誘えないと悟ったのだろう。
悠梨もどうしようかと悩んだ挙句、隣から聞こえてくる楽しそうな笑い声を振り切り、お弁当を片手にそっと教室を後にした。

特に目的地はないが彼女が向かったのは屋上。行き慣れている場所のせいか自然と足がそこへ向く。
重たい扉を開けて迎えてくれた空は晴れ模様。しかし、彼女の心境はそこまで晴れやかではなく対照的だ。

小さく溜息をつき、ちょうどよく日向になっている場所を見つけ、そこへと腰を下ろした。





「一人でお昼なんて久しぶりだなー」





いつも傍には茜とあやのが居る。だからこうして一人の時間を過ごすのは本当に久々なのだ。
お弁当箱を包む布を取り、手作りのそれを前に両手を合わせて「いただきます。」

少し寂しさを残すも、悠梨はパクリと一口目を口にした。
その時、閉ざされていた屋上の扉が再び鈍い音を立てて開かれた。





「…え、センパイ?」


「と、燈弥君」






そこへ現れたのは今朝会ったばかりの彼だった。

予想もしていなかった彼の登場に驚く悠梨だったが、彼が持つそれに気づくとへらりと笑みを向ける。
燈弥もそれに応えるようにして笑みを浮かべると、彼は自然な動作で彼女の隣へと座った。





「センパイ一人って事は、やっぱりタケジュンが言ってた通りになっちゃったんだね」


「え?」


「さっきタケジュンが教えに来てくれたんだ。”瀬那はモテまくりだから一緒には食べれないかも”って」





悠梨は苦笑して頷いて見せた。きっと今もまだあのままなのかもしれない。
本当は声をかけた方が良かったのかもしれないけど、それだと彼と話したがっている人たちの邪魔をする事になってしまう。

自分勝手な行動で彼等を不快にはさせたくなかった悠梨は、結局何も言わずに教室を出てきた。
どうやら燈弥も同じなようで、一度瀬那の様子を見に行ったらしいが結局彼を囲む生徒(ほぼ女子)に圧倒され、声を掛けられなかったらしい。

「瀬那も大変だよねー」と微笑しながらお弁当箱の蓋を開けた燈弥は、早速一口目を口に含んだ。
しかし、そこで悠梨はハタと気づく。





「燈弥君は大丈夫だったの?」


「へ?」


「だって、瀬那君があんなに囲まれてるのに、燈弥君が囲まれないっていうのは考えにくくて」


「ああ、そういう事」





燈弥は箸を口に含んだままコクリと頷く。
「オレは瀬那と違って逃げるの上手いから。」と無邪気に言いながら笑う。

果たしてそれはどういう意味なのだろうか。悠梨は「そうなんだー。」と微妙な心境で返した。
それだと瀬那が逃げるのが下手となるが、彼が言う”逃げる”とは一体どういうものなんだろう。
悠梨はうーんと首を傾げながらその事に一時頭を悩ませた。





「それにしても、悠梨センパイはつれないなー。屋上で食べるならオレも誘ってくれれば良いのに」


「え?」


「だって1人でお昼なんてつまんないでしょ?オレが編入してきてから一緒に食べてるんだから、誘ってくれてもいいのに」


「あ…」





燈弥は朝と同じように「センパイのいけずーっ。」と頬を膨らます。
それがやはり可愛く思え、悠梨は自然とその柔らかそうに膨らむそれにぷすりと指先を当てた。





「………え、センパイ?」


「―――あっ」





我に返って慌てて彼の頬から手を離す。そのまま「ごめんね!」と謝れば、燈弥はぽかーんと呆けるも、直にくすくすと笑いだした。





「センパイ慌てすぎ。そんなに謝られるとかえって傷つくなぁ」


「えっ!?そ、それは、あの…ごめんなさい?」


「もう。そこは謝らないでってば」





そう言って「てんばつ!」と悠梨の頭にコツンとチョップを当てる。
ただ触れるだけのその行動に今度は悠梨が呆ける。

「瀬那のマネ、似てた?」と彼女の頭から手を離しながら問う燈弥に、悠梨はへらりと笑って頷いた。

その後も楽しい時間は続き、会話も弾み、お弁当も残り半分となってきた。
途中、お互いのおかずを交換し合ったりしながら過ごす時間、2人はほとんど笑ってばかりだった。





「でね、吹雪ってば自分の仕事を瀬那に押し付けて自分は”曲作りに専念しまーす!”とか言うんだよ。それで渚が余計怒りだしちゃって」


「ふふっ。皆は何処に居ても相変わらずなんだね。すごく楽しそう」


「うん!すごく楽しいよ。けど、そんなオレ達を最後は結局瀬那がまとめてくれるからやっていけてるようなものだからさ」





「瀬那の存在のありがたさがすごく分かるんだよ。」燈弥は瞳をランランと輝かせながら話す。
彼がどれだけ瀬那を大事に想っているか。それはどことなく自分に似ている気がして、悠梨はゆっくりと問いかけた。





「燈弥君って、瀬那君の事をどう思ってるの?」


「そりゃあ勿論、憧れだよ!オレにとって瀬那は人として尊敬し、見習いたいと思える人なんだ!」





燈弥は続けた。

いつも誰よりも周りに気を配り、常に支える手を伸ばしてくれる。
誰よりも仲間や友達、家族。自分にとって大切な人には特に敏感で、鋭くて、いつもと違うと直にバレてしまう。
けど、気づいてくれる。自分の事にどれだけ鈍感であっても、それだけで自分達は救われるから。

燈弥は瞳を細めて呟いた。

だから自分もそうなりたい、そうでありたい。
彼の様に誰かを支えられる術を身につけ、誰かに必要とされて、そして、大切な人を守って行けるように。
そういう存在に、自分もなりたい。





「だからオレ、瀬那と出会えた事がとっても嬉しいんだ!きっと奇跡の巡り合わせだよ!」


「燈弥君…」





眩しすぎるその笑顔はとても純粋でキラキラ輝いている。
そんな燈弥に悠梨は自分のありのままの気持ちを伝えようと―――――。





「私も、瀬那君の事すごく尊敬して憧れてるんだ」


「え!本当?」


「うん。だから私も、燈弥君と同じで瀬那君と出会えた事がとっても嬉しいの」





この出会いは本当に奇跡かもしれない。神様が与えてくれた一生でただ一度だけの出会い。
彼と出会ってから、自分の世界は昔よりも大きく広がりを見せた。視野を広げ、幅広く見渡せるようになった。

他人の事に今まで気付けなかった事が気づけるようになった。
少しだけ、勇気を持てるようになった。
瀬那との出会いは自分だけではなく、燈弥も含め、きっとたくさんの人達の変化をもたらしているだろう。





「オレとセンパイって、実はとっても似た者同士なんだね」


「うん、そうかも」


「へへっ。なんだか、嬉しいや」


「私も!」





素直で無邪気な語り合い。教室で抱いていた憂鬱な感情は、いつの間にかこの空の様に晴れ晴れとしていた。
これも彼と一緒の時間を過ごせたからかもしれない。

悠梨は頬を緩めて笑みを浮かべる燈弥に心の中で「ありがとう」と呟いた。


楽しい時間はあっという間で、昼休み終了の5分前になると燈弥は次は移動教室があるからと早足で屋上を出て行った。
悠梨も彼の後を少し遅れて追うように出ると、階段の下には今朝声をかけてきた大人しそうな印象を持つ女の子が此方を見上げて佇んでいた。





「あなたは…」


「朝は失礼しました。私、1年の桧野宮ひのみやと言います。あ、あの、先輩…少し、いいですか」





どこか悲しみを含んだ眼差しに悠梨は小さく頷き返した。
再び屋上へ戻ると桧野宮は視線を彷徨わせ、躊躇いがちに恐る恐ると口を開く。





「あの…先輩は、その」


「うん」


「っ、と…国本君と、仲良いんですか?」


「へ?」





緊張感が漂う雰囲気で何を言われるのかと思っていれば、悠梨の予想していたのとは別の質問。
少し驚いて問い返してしまったが、悠梨は「す、すみませんっ」と謝ってくる彼女に慌てて首を振り返答を向けた。





「え、えっとね。仲が良いっていうか、確かにお話はするけど、何て言うのかな…その、お友達、みたいな」


「おともだち?」


「うん。これはあくまで私の主観なだけで、燈弥君はどう思ってるかは分からないんだけど。少なくとも私はそう思ってるよ」





もっと言えば”友達”より”弟”が正しいのだけど…。
それは口には出さずに胸中でだけで。

自分の気持ちを正直に話すと、そのまま黙ってしまった彼女を心配に思いそっと彼女の表情を窺う。
もしや何か彼女を傷つけるような事を言ってしまったのだろうか。不安要素を与えてしまったのだろうか。
悠梨はぐるぐると巡る自分に対しての不安に焦り始める。しかし、そこで彼女が今朝瀬那に対する話もしていたと思いだす。

聞いて良いのか聞くまいか迷った挙句、悠梨は意を決して自分から口を開いた。





「あの、私からも聞いていいですか?」


「えっ」


「今朝、せな…えと、嘉山君と知り合いかって聞いてたよね?もしかして、本題は嘉山君に用なんじゃ…」


「あ、ち、違うんです…!嘉山先輩じゃなくて、私―――――」





桧野宮が皆まで言う前に、屋上の扉は大きな音を立てて開かれた。
驚いて同時にそちらに振り返る2人、そしてその目に飛び込んできたのは今話の中心となっていたまさに2人で。





「だから言ったろ、燈弥!お前はオマケの一言が多いって」


「ごめんってば、瀬那ー!と、とにかく今はなんとかして隠れないと―――――――あっ!」





男女の間に一時の沈黙。だがそれは束の間の出来事で、誰よりも先に動いた瀬那は悠梨と桧野宮の腕を片ずつ掴み、片方を燈弥へと促した。





「俺はこっち、燈弥はそっちだ。悠梨、悪いがかくまってくれ」


「えっ?」


「桧野宮さんもごめん。悪いけど付き合って!」


「え…ええっ!?」





悠梨は瀬那に誘導されるがまま屋上にあるもう一つの入口の方へと連れられる。
その壁と扉のまさに死角になるところに身を潜ませ、悠梨は瀬那に指示された通り入口の傍で座る。
そして燈弥もまた死角に隠れ、正面の入口の傍には桧野宮が待機する形となった。

それから直にバタバタと慌ただしい音が近づき、勢いよく2つの屋上の扉が開く。
内心驚きを隠せない物の、そこへ現れた女子の集団の先頭に立つ1人がお互いの前に居る悠梨、もう一つの扉では桧野宮に目を向ける。





「ねえ、ここに嘉山君と燈弥君来なかった!?」


「き、来てません。見てもないですっ」





圧倒されながらもそれだけ言うと、女子達は一斉に屋上を後にしていく。
「やっぱり登らずに曲ったのよ」とか色々声は聞こえたものの、漸く訪れた静寂に安堵を漏らすと別々の扉の影から2人は静かに体を覗かせた。





「なんとかバレずに済んだな…。サンキュ、悠梨。お陰で助かった」


「う、うん。それにしてもすごかったね。もしかして追いかけられてたの?」


「ああ。いい加減解放されたくて教室を出ようとしたら、ちょうどよくタケと燈弥が揃って戻ってきて…」





瀬那はうんざりした顔で回想した。

教室を出ようとしたその時、淳が「瀬那は昔からモテてたもんなー!」と余計な一言を加え。
そして燈弥までもが「バレンタインとかすごかったんでしょ?」と更に煽る。

そのせいで女子はヒートアップし、瀬那に追及しようと迫ってきたのだ。
さすがに多すぎる人数に対応力を削られた瀬那は淳を身代りに逃走。そしてその矛先は自然と燈弥に向けられ2人して逃げ回る羽目に。
そうして逃げて逃げて漸く辿り着いた場所は屋上。そこへ偶然にも居合わせたのが悠梨達2人だった、というわけだ。





「…ったく。クラスの女子だけならまだしも、別のクラスの女子まで俺に合わせた対応してくれるワケなかったしな」


「こ、怖かった…。年上の女の人ってすごい気迫なんだね。オレ、もう余計な事言わないように口の堅い男になるよ、瀬那」


「ああ。少なくとも、タケ以下になることだけはやめてくれ。俺はお前を信用してるからな、燈弥」


「っ、うん!!」





逃げ回って疲れたのか、2人はその場に座って空を仰ぐ。
「お疲れ様」と2人を見つめていた視線を隣にやってきた桧野宮に向ければ、彼女はほんのりと頬を赤くして穏やかに瞳を細めていた。

彼女の視線の先には燈弥。
そっか、そういう事だったんだ。
悠梨は彼女の不安定な態度の答えがすぐ近くにあった事に気づき、頬緩くして微笑んだ。





「あ、そうだ」





不意に声を漏らし、視線を上げた燈弥。
無邪気な笑みは傍で立つ悠梨に、次に桧野宮に向けられて。





「オレのこと守ってくれてありがと、桧野宮さん」





太陽の様な笑顔。眩しすぎるくらいのそれに、桧野宮は今度こそ顔を真っ赤にして倒れた。
慌てて支える悠梨に、戸惑う燈弥。
しかし、瀬那だけは一人そんな彼女の様子に柔らかな笑みを浮かべた。

彼女の気持ちを知るのは当人以外の2人だけ。





<第2章 プロローグ     第2章 第2話>