さっぱりと晴れやかな空をした本日。悠梨ゆうりのクラスは一時間目から体育の授業をしていた。
体育祭に向けてグラウンドで男女共に分かれてリレーのバトンを渡す練習、個人でスタートダッシュのタイミングを試したり等。

悠梨は茜とあやのと一緒にバトンパスの練習を行っていた。
今月、6月20日に体育祭が開かれるが、後に聞かされた話では総合得点で優勝したクラスには嬉しい景品が与えられるらしい。
噂では夏休みの宿題パス、1泊2日のお楽しみ旅行。他にも多くの情報が流れている。

一体どれが本当なのかは定かではないが、どのクラスもその景品目当てに練習に明け暮れていた。





「しっかし、どのクラスも現金よね。優勝以前に景品にしか目がないみたいじゃない」


「あら。実際そうなんじゃないの?卒業生の方から聞いたという話によると、本当に良いものが貰えたって言っていたわ」


「え。マジなのそれ?」


「一体何を貰ってるんだろうね。私もちょっと気になっちゃうなあ」


「そうよね。そこまで言われちゃ、誰しも気になっちゃうわよね。…茜と違って」


「ちょっ、誰も気にならないとは言ってないでしょ!」





相変わらずの掛け合いを傍で聞きながら楽しそうに笑う悠梨。
彼女達が居る広いグラウンドには他のクラスも練習をしており、ある一か所においては女子の固まりが出来上がっていた。





「練習だからって気抜くんじゃねーぞ、燈弥とうや!」


「分かってるよー!」





そこでは1年の男子が彼女たちと同じくバトンパスの練習をしていて、中でも【Sky Blueスカイブルー(S.B)】メンバーの燈弥は
誰よりも注目を集めて女子達から黄色い声援を受けていた。





嘉山かやま君も居たらもっと騒がしくなってたでしょうね」


「ははー…。考えただけで嫌になるわね」





あまり芸能人に興味をもたない2人は瀬那せなが相手だろうと燈弥が相手だろうと、その態度を変えようとはしない。
いつもと変わらない態度で接しているためか、燈弥は悠梨達のクラスに行くと必ず2人にも挨拶をしている。

茜とあやのもそんな彼の態度に好感を持っているようで、彼女たちの中では既に『燈弥=愛弟』になっていた。
それを知らないのは勿論のこと本人だけだ。





「そういえば、何で嘉山君って今日は休みなんだっけ?燈弥だけ来るっていうのも珍しい感じだけど」


「確か、個人のお仕事が入ったとか言ってなかったかしら…。ねえ、悠梨ちゃん?」


「うん!雑誌の取材って言ってたよ。…あの素顔を隠していた理由を追及される、とか言ってたかな」


「ああ…。そりゃあ聞きたくもなるだろうね、ファンの立場だと」


「彼も大変ねぇ」





苦笑いの茜と、まさに他人事と言った顔のあやの。
今頃その追求にあっているのだと思うと悠梨も瀬那の事を同情しかねない。

それに今月末には新しいシングルも発売が決まっていて、その宣伝や紹介のための特番にも出演する事になっている。
夏休みには有名アーティストが勢揃いするフェスティバルも開かれるため、彼等にとってはとても忙しい時期なのだ。





「あ、集合だって。行くよ、悠梨」


「あ、うん!」





次はいつ会えるのだろうか。
少し意地悪で、けれども優しい瀬那を思い出しながら悠梨は茜達の後を追いかけた。










「だ、から…っ!いつまで居る気だバカ吹雪!!」





時刻が昼を過ぎた頃、【柊学園】のとある教室では怒りを含んだ大きな声が響き渡った。
ワナワナと拳を震わせ、眉間には深く皺が寄り、その額には青筋が浮かんでいる。

すこぶる機嫌が悪いとみえるなぎさは、今自分に席を堂々と居座る吹雪ふぶきを鋭い眼で睨みつけていた。





「ったく、わんわん吠えるなよ渚。イイじゃねーか、ちょっとくらい」


「ちょっと?どこが”ちょっと”だ!?こちとらお前が俺の席を陣取ってるせいで、わざわざ場所移動して飯を食う羽目になったんだぞ!」


「他の席を借りれば良かったじゃねーか。ちょっと…”この席借りても良い?”…って聞けば済むだけの話だろ?」





にこっと渚の隣の席に座る女子に向かって声をかければ、彼女は頬を染めて「は、はいっ!」と立ち上がる。
ほらな?と渚に向って悪戯な笑みを向けると、彼は更に苛立ちを覚えた顔で吹雪に向ける視線を鋭くした。





「だいたいテメェは一つ下の階じゃねーかっ。別学年のくせに、何で昼休みになる度来るんだよ」


「んなの決まってるだろ!渚が一人で寂っしいランチをしているのかと思うと可哀想で可哀想で、それでわざわざ俺が…」


「誰も寂しがってねーよっ!つか、俺が誰と何処で食事しようが俺の勝手じゃねーか!いちいち癇に障る表現してんなっ、アホ吹雪!」


「おまっ…!さっきから聞いてりゃ、リーダーに向かって”バカ”だの”アホ”だのおかしいだろ!もっと褒めろ!敬え!そして愛せっ!!」


「誰が愛すかっ!本気でシバクぞ、クソリーダー…ッ!!」





その途端、お互いガッと掴み合い押し合いを始める二人。
これは最早見慣れた光景で、渚のクラスメイトは「また始まった」といった顔で見守っている。

身長差は多少あるものの、お互い譲る気が無いその勝負は結局昼休みが終わるまで続いた。

二人のやり取りはこれ以外にも色々あり、既に名物ともされていてこの校内では有名だ。
それを見るだけに昼休み早くから渚のクラスに集まる女子も居れば、逆に要らぬ火の粉を浴びないために避難する生徒もいる。

一躍有名人である二人だが、特に渚の場合せめて学校生活だけでも平穏に過ごそうと務めているのに対し、
吹雪はそれを尽く邪魔をする行動を取っては渚の機嫌を損ねさせる。
いいからかい対象に定まってしまっている渚は、事ある毎に転校の計画を立ててきたとか。

真面目で成績優秀な彼も瀬那とはまた違う雰囲気の優等生ではあったが、吹雪のせいでそれは一変。
何事にも責任感をもって取り組む渚には、どうしても吹雪の態度は受け入れ難いものであった。





「…くっそー、吹雪の奴。いい加減、担任の先生にでも注意してもらわないとな」





ブツブツと独りごちながら裏門から学校を出る渚は、普段は授業中や読書する時しかかけない眼鏡をかけていた。
六時限目終了と同時に靴を履き換え、仕事のため事務所に向かって歩く。
しかし腕時計を確認すれば、その時間までは多少時間はある。

どうしようか、と悩んだ末。渚は事務所へ向かっていた足を一旦止め、その足を90°方向転換させた。



























「また明日ね、悠梨!」


「気を付けてね。知らない人に連れて行かれたりしないでね」


「大丈夫だよ、あやのちゃん。それじゃ、また明日!」





同時刻。帰宅部の悠梨は茜達と別れて帰路を辿っていた。





「あ。そういえば、今日って『ポップンアイドル』の発売日だ…!」





悠梨は「何でこんな大事な事を忘れていたんだろう」と表情を厳しいものに変えて走り出した。
この近くなら行き慣れた商店街の本屋さんが一番近い。

悠梨は丁度良く青へと変わった横断歩道も走って渡り、直に商店街の入口である屋根を潜った。
本屋の自動ドアを通れば涼しい風と店員の緩い声が彼女を迎える。

早速雑誌のコーナーで目当ての物を見つけると、拍子に大きく『S.Bクリアファイル』の文字を発見。
一気にテンションが上がった悠梨はそれを大事に抱え、もう少しだけ見て回ろうと止めていた足を再び動かした。
だがその足はしばらくしない内にピタリと止まる。彼女の視界には参考書がずらりと並んでいた。





(そういえば、体育祭が終わって直に中間テストが…!)





今まで忘れていた事に悠梨のテンションは徐々にブルーへと変わっていく。
だが、まだありがたいことに一ヶ月はある。今の内から始めていれば間に合うはずだ。

悠梨は今の範囲で何か使える問題集はないかと棚を見詰めた。
たまに手に取ってパラパラと捲ってみるも、難易度が高かったり量が多すぎたりと自分に合うものがなかなか見つからない。
どうしたものかと悩んでいる内に、その視線は無意識の内に下がり、いつの間にか先ほどから抱えている雑誌に向けられていた。

表紙を開いて直に飛び込んでくる特集ページ。そこに大きく書かれた『Sky Blue』の文字。
反射的にそこを捲ると、まず最初に私服姿の彼等が仲良さ気に笑い合ってる顔が広がった。
自然と緩む表情。さっきまでブルーになっていた悠梨の顔は今やふわふわと幸せな花を飛ばしているようだった。

集中して読んでいる内にページとページの間に付録として挟まれていたクリアファイルが姿を現す。
表面には先ほどの集合写真が写っており、裏っ返せば―――――。





「っ…!?」





突如として横から誰のかも分からない手が出てきて、彼女が開いていた雑誌が閉ざされた。
驚いて瞬きながらゆっくりとその手を辿ると、悠梨は叫ぶどころかそこに居る人物を見て絶句した。

荒い息と顔を真っ赤にさせた一見真面目な優等生姿の。





「…な、ぎさ…くん!?」


「なっ、なんっつーもん当ててんだ、アンタは…!!」





呆然と彼を見詰めたまま動かない悠梨に代わって、突然現れた渚は彼女の手から雑誌を奪う。
はっとして彼を見返せば、渚は小さな声で「没収。」と呟いた。

思わぬ発言にショックを受けた悠梨は慌てて彼に「返して下さいっ。」と懇願する。
予想外に必死そうな彼女の瞳に一瞬言葉を詰まらせるも、渚も「ダメなものはダメだ。」と言って雑誌を後ろに隠してしまった。





「な、何故ですか…!折角楽しみにしていた内容なのに…」


「内容はともかく、特典が気に入らん。だから没収」


「そ、そんな…っ」





がーんっ!ともろにショックを受ける悠梨はがっくりと項垂れる。
再び予想外な彼女の落ち込みように苦い顔をする渚だが、しばらくして辺りにあまり人がいないのを確認すると静かに口を開いた。





「あ、アンタこそ、何でこれに拘るんだよ…」


「何で…?だってそれは今月限定の雑誌です!買わずしてどうしろと言うんですか!」


「え?あ、いや、そうじゃなくて」


「?」





言葉を濁す渚に首を傾げる悠梨。

一体彼は何を言いたいのかとしばらくお互い沈黙を守ったが、先ほど一瞬だけ視界に掠めたものを思い出し、
今度は悠梨はそっと彼に問いかけた。





「も、もしかして渚君…さっき特典が気に入らないとか言ってたけど…」


「…っ!」


「クリアファイルの裏面に大きく写っていたのが嫌だったんですか?」





渚の肩がビクリと揺れる。それだけで彼が何を伝えたかったか悟った悠梨はきょとんとしながら彼を見つめる。
再び口を閉ざしてしまった彼女の与える視線と沈黙に耐えきれなくなった渚は、顔をカッと染めて怒鳴る様に、けれども声量は調節して言った。





「な、なんだよ…文句でもあるっていうのか!?」


「え?い、いえ、決してそういうワケでは…」


「言っておくがな、そもそもこの付録は”【S.B】全員が写る”って聞いたから賛成したんだ!なのに発売したのを
 見たら何だこれ!?誰か一人がこんなドデカク写るなんて聞いてねーぞっ。つか、何だよこれ何でこれ選ぶん
 だよ意味が分からんマジで分からんっ!!」


「お、落ちついて渚く…」


「アンタもアンタだ!何故これを買おうという気になる?黙って隣に並んで立っていた俺への嫌がらせか?
 声掛けなかったから怒ってるのか?腹いせか?そうなのか?それとももっと別の…」


「ほ、ほんとにそんなのじゃないから…っ、とにかく一度落ち着いてください!」





渚がマシンガン波に言葉を並べている間に彼の手から雑誌を取り返すと、悠梨は「深呼吸です、渚君。」と言って様子を窺う。
彼女の言葉でやっと今まで自分が我を忘れて喋っていた事に気づいた渚は、気まずそうに「わ、悪い。」と視線を逸らした。





「それにしても…いつから隣に居たんですか、渚君?」


「へ?」


「さっき”黙って隣に立ってた”って言ってたから。いつから横に?」


「そ、それは…」





渚が気まずそうに口を開いた時、その傍を数人の学生が通りかかったので慌てて口を閉ざす。
楽しそうに話しながら通り過ぎていく様を横目で見送ってから、渚はちらりと悠梨へ目配せした。

きょとんと首を傾げる悠梨。
此処から一旦出ようと言いかけた渚だが、彼女が大事そうに抱えるそれを目にした途端、再び彼の手はそれへと
伸ばされた。本屋から出るまで彼からの監視は続く。悠梨は泣きながらトボトボとそこを後にした。


空が薄っすらとオレンジ色を染め始めた頃、二人は小さな公園に来ていた。
相変わらず眼鏡をかけたまま腕を組んでベンチに座る渚。その横には見るからに落ち込んでいる悠梨の姿。

だんだんといたたまれなくなってきた渚は、業とらしく咳払いをして彼女へと顔を向けた。





「ま、まあ、そう気を落とすな。雑誌なんて他にも山ほどあるだろ…?」


「…あれじゃないと、ヤです…」





ずびび、と鼻をすすって溜息。今まで明るい印象ばかり向けていた悠梨がこんなにまで落ち込む姿は初めて目にする。
たかが雑誌一つで…と呆れそうになる渚だが、彼女をこんなに落ち込ませているのは自分のせいだと自覚があるため、溜息すら漏らせない。





(仕方ないだろ…。アレは俺が納得した物じゃないんだ)





渚は彼女から視線を外すと、目先にある彼女に聞こえないくらい小さくそっと息をついた。





(吹雪だったら…アイツだったら、きっと、こんな風に落ち込ませないんだろうな)





渚は学校でよく目にする光景を思い出す。

吹雪は何処に居ても決して女性だけは傷つけないように気を配っては楽しませている。
傍から見ればただのナンパ野郎という印象しか持たない渚だが、捉え方によっては彼はとても器用な人間だとも思える。

雑誌一つでここまで悲しませてしまった自分と比べると、渚は普段注意してばかりの自分が果てしなく情けなく思えてならない。





(どうすれば良いんだ…)





会った時目にする柔らかな笑顔は、今はその表情には無い。
いくら考えても良いアイディアなんか浮かばないと判断した渚は、意を決したように再び悠梨へと視線を向けた。





「あ、あのさ」


「…はい?」


「…っ、えっと…」





とりあえず話を聞いてくれる事に安堵するが、声をかけて置いて何を言おうかなんて決めていなかった。
渚は普段じゃこんなにも悩まないであろう会話に、とにかくありとあらゆる考えを巡らせ、ふと脳裏に浮かんだそれを表に出した。





「そ、そういえば、学校での嘉山はどんな風に過ごしてるんだ?」


「えっ」


「いや、別に気になるワケじゃなくて!その…ほら、アイツこの前素顔バレて大騒ぎになったろ?その後の周囲の反応はどうなってるんだと…思って」





タラタラと冷や汗が背中を伝う。普段なら決してこんな質問をしたりしない渚は口元を引きつらせながら言葉を繋ぐ。
しばらくぽかーんと彼を見つめていた悠梨だが、しばし口を閉ざすとゆっくりと言葉を紡いだ。





「今の瀬那君は、以前よりも皆から人気だよ」


「は…?」


「以前までの瀬那君は男の子からしたら話しにくいって印象があったみたいなんだけど、今じゃそれもないみたい。
 あ、あとね、女の子からは余計にカッコ良く見えるってすごい好評なんだよ。溜息の数も前よりは減った…と思う?」


「何で疑問形?」


「えっ、えと…その、あんまり女の子に囲まれてる時間が長いと、すごく疲れた顔してる時があるから」





「でも、やっぱりありのままの瀬那君の方が素敵に見える!」悠梨は楽しそうに、少し嬉しそうに笑った。

さっきまで落ち込んでいた表情が嘘のように晴れやかになる。
その様子を黙ったままじっと見ていた渚は、自分の力よりも瀬那の存在力に自嘲した。

自分ではどうにもできなかった事を、瀬那はこの場に居ないにも関わらずそれをやりのけてしまった。
それだけの存在感を、彼は彼女の中に持たせている。
渚は彼女から顔を背けると小さく握りこぶしを作っては強く握った。





「でも、渚君が瀬那君のことを聞いてくるなんてちょっとビックリしたな。やっぱりお友達だから心配になる?」


「は、はあっ!?なんっ、何でそうなるんだよ!意味が分からん!!」


「え?ち、違うの?私はてっきりそうなのかと…」


「んな…んなワケあるかぁっ!!俺はただアイツが―――――、っ!?」





全力で否定するように立ちあがって叫ぶ渚に驚く悠梨。
しかし、彼が全てを言いきる前にその口は大きく開かれたままあんぐりと止まった。

急に話すのをやめた渚を不思議に思い、悠梨はゆるりと彼の視線の先に振り返る。
途端、彼女の首にぎゅっと誰かの腕が回り、背中に別の体温が当てられた。





「コラ、渚!俺の可愛い悠梨ちゃんを苛めるとはどういう了見だ!!」


「っ、ふ、吹雪君!?」





いつからそこに居たのか。吹雪は驚きを隠しきれない悠梨を相変わらず包んだままニカッと笑う。
状況を理解した途端、顔を真っ赤にして慌てだした悠梨のその姿は彼にとってはとても可愛い反応。

緩みきった頬はそのまま、吹雪は「かっわいいなぁ、もう!」と言いながら彼女の頬に擦り寄った。
そのせいで余計に慌てふためく悠梨は既にパニック状態。予想もしてない彼の登場と行動に最早成す術なく固まってしまう。

渚も先ほどまで一瞬でも当人の事を考えていたため、本人の登場には驚愕するしかなかった。
しかし、我に返った彼の行動は早かった。
ツカツカと二人との間にあった距離を埋め、ガッと吹雪の腕を鷲掴んではベリッと引き剥がした。





「おわっ!?いきなり何すんだよ、なぎ―――――」


「やかましい!!お前は自分の立場というのをまだ理解してないのか!?いい加減にしろ!お前は、否、俺達はアイドルだ!芸能人だ!!
 一般人に、しかも女子に手ェ出してゴシップされないと思うなよ!?そうなって迷惑かかるのは俺達なんだからな!!」





クワッと勢いを付けて言い放つ渚の目は鬼。思わずあんぐり状態になってしまった吹雪は一時停止。
しかし、直に我に返った彼はキッと目を吊り上げると、まるで悠梨を庇うように立ちあがった。

その瞳は真剣そのもの。滅多に見せないその表情に渚は思わず言葉を飲み込んだ。





「アイドル?芸能人?それが何だ。俺達は立ち場云々よりも先に”一人の男”なんだよ」





自分よりも高く、広い背中を見つめる悠梨。
こんなにも男をみせる吹雪を彼女も初めて目にした。

自然と加速する鼓動と共に、その場の緊張感も静かに増していた。





「例え、悠梨ちゃんが一般人で純情で可愛い女の子でも」





悠梨の無意識の内に胸の前で握る自分の手に力がこもる。





「どれだけ素直で恥ずかしがり屋で、抱き心地が良くても」





渚は吹雪の放つ気迫に、唇をきゅっと結んだ。





「それでも―――――」





次の瞬間、緊迫した雰囲気はそのままに渚の表情は一気に崩れた。





「元々可愛い女の子が大好きな俺に、そんな子をこの腕に抱かずにどうしろと言うん―――――ぐぼべはあっ!?」





最後まで言い切るがため叫びにも似た声で告げていた吹雪は、突如として与えられた鈍い痛みに思わず足元にうずくまった。

一体何が起きたのかと呆然とする悠梨と渚。
しかし足元に浮かぶ影が一つ増えている事に気づき、ぱっと振り返った悠梨は先ほどよりも更に驚きを露わにした。





「ったく…。”しばらく黙ってろ”と言ったっきり戻ってこねーから何をしているのかと思えば」


「なっ、お前…!」


「瀬那君!」





呆れ顔で吹雪の後ろに立つ瀬那は、深く帽子を被り眼鏡をかけていた。
カジュアルな私服姿で、肩にはカバンがかけられている。仕事へ向かう途中のようだ。





「しかし、珍しい組み合わせだな。まさか渚と悠梨が一緒にいるとは思わなかった」


「ぐ、偶然商店街の本屋で会ったんだよ。つか、嘉山。お前こそこんな所で何やってんだ?今日は一日中スケジュール詰まってたろ」


「ああ。けど、さっきまでの仕事が早めに切り上がったから一旦家に戻って荷物を置いてきたんだ。ついでに着替えも」





そこまで平然と答えた瀬那は未だにその場で蹲っている吹雪を見下す様にジトリと見据える。
そのまま放置しておこうとも考えたが、遠くから聞えて来た鐘の音を耳にすると、その考えを直に取り消した。





「いつまでそうしている気だ、吹雪。次の集合が17時半なんだから、さっさと立ちあがれ。遅刻する」


「ッ、じ、自分でやっておきながら…なんつう冷たいセリフ…!!」


「自業自得だろうが。あんなのデカイ声で言えた事じゃねーだろ、アホ」


「あたっ」





ぐずを捏ねる吹雪の頭をぺしっと叩くと、瀬那はそんな彼の腕を掴んで少々強引に立ちあがらせた。
そのまま引きずる様に公園の入口へと足を向けるが、その足はピタリと止まり不意に佇んだままの二人へと目を向けた。

そしてその視線は渚へと止まり、彼が訝しげに瀬那を見つめ返すと――――。





「ほら」


「おわっ?」





いきなり彼の手に放られたのは四角い形を浮かべた青い袋。
見るからにして中身は本だという事が理解できたが、これを一体どうしろというのか。

相変わらずな表情のまま再び瀬那へと目を向けると、彼は無言で悠梨に視線を投げる。
その意図を察した渚は、何故自分で渡さないのかと疑問に思いながらも彼女に向きなおってそれを差し出した。





「わ、私に…?」


「あ、ああ」





中身にどんな本が入っているのかは分からないが。
心の中でそれだけ呟いて彼女が袋から取り出すそれに目を向ける。

しかし、そこから姿を見せた本に目をむくと、渚は驚きと疑問に満ちた瞳を瀬那へと向けた。
だが、そこには先ほどまで居た彼等の姿はなく。





「あ!これ、さっき買えなかった『ポップンアイドル』!」





喜々と笑顔を浮かべる悠梨は嬉しそうにそれを抱きかかえて渚を見上げた。





「ありがとう、渚君!これ、絶対絶対、大事にするね!」


「う…」





幸せいっぱいのその表情を、渚は二度も崩すことなど出来る筈がなかった。





「あれ?」


「ん?ど、どうかしたのか?」


「あ、あの…これ」





また自分の特大サイズが写っているのか…。
半ば諦めて彼女が向けるクリアファイルを見ると、そこには自分ではなくREKKAの顔が。

どういう事だ?と訝しげにそれを見つめる渚。
そしてもう一つ気づいた事に、彼女の持つクリアファイルは何故か何重にも重なっていて。





「わっ…す、すごいよ、渚君!【S.B】全員分のアップがある!渚君だけじゃなかったんだね」


「…………」


「…渚君?」





無言でがっくし項垂れる渚。
突然の彼の異変に慌てた悠梨は傍に屈んで彼を心配した風に見つめる。





(アイツ等、何で肝心な事を黙ってた…!?)





酷く悔しそうに、そして徐々に込み上がってくる悔しさと怒りに彼は手元にある砂をギリリと握る。
しかし、ふと見上げた彼女の心配する声に相槌を打てば、悠梨は安心していつものあの笑顔を浮かべた。

柔らかな雰囲気が彼女から伝わってくる。
また最初の様に二人だけの空間だが、あの時とは違う。





「ったく。嘉山もキザな事しやがる」


「ふふ。でも、すごく嬉しいよ」





無邪気に微笑む。その笑顔はやはり悠梨にとても似合っていて、渚は自然と瞳を細めて見つめた。





「どれか学校用で持って行こうかな。…渚君の使っても良い?」


「それだけは却下だ!却下っ!!」





渚の強い「No!」宣言に再び悠梨ががっくりと項垂れ、一人焦る羽目になる渚であった。





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