【時雨祭】まで残り3週間を切ってしまった本日。
折角クラスで行うものが決まったと思ったのも束の間、それはあっさりと無くなってしまった。

空は今日も晴れ晴れとしているのに、悠梨ゆうりの表情は曇っている様子。

ゆっくりとした足取りで住宅街を歩くが、同時に溜息も一緒に零れる。
彼女の横を何人もの人が通り過ぎていく中、彼女は本日何度目かの溜息を漏らした。





「何か良い案はないかな…」





なんとかして案を出さないと【時雨祭】に間に合わなくなってしまうかもしれない。
そんな事になったら、2年に1度しかないこの行事に二度と触れられない。

悠梨は歩きながらも難し顔をしながらうんうんと考える。
その間も、傍から見た彼女はあっちへフラフラ、こっちへフラフラと見ていて危なっかしい状態だ。





「やっぱり何も思いつかないよ…」





「ダメだー…」と肩を落としながら目前まで迫った角を曲がろうと一歩進んだ、その時――――――。
ドン、と正面から何かにぶつかり、悠梨はヨロリと体勢を崩してしまう。

なんとか転がるまではしなかったものの、突然すぎてしばし瞬きを繰り返して前を見ると、
そこには自分と同じように、ぶつかった事に目を白黒させた男子がいた。


真っ赤に燃えるような赤い髪に、好戦的な瞳。
背も高くて、ビジュアルとしては何一つ文句の言いようがないその姿に、悠梨は更に驚きを見せた。

同時に大きく鼓動を打つ、心臓。
何かに反応を見せたその鼓動に、悠梨は小さな違和感を感じた。


しかし、そこでハタと気づく。自分は今、この目の前の存在に思い切りぶつかってしまったと言う事に。
それを思い出し、慌てて1歩前に出れば、彼女は直に謝罪を申し出だ。





「す、すみませんっ。お怪我はありませんか?痛いところとかありませんか!?」





本気で心配した表情をする悠梨。
しかし、何故か目の前の男子は徐々にその眼を大きく開いていった。

そして――――――――――。






「え……女、の子?」


「は…?」





小さく呟かれた一言を悠梨は聞き逃さなかった。故に下げていた顔を上げて彼を見つめれば、
目の前の少年はその顔色を一気に変えた。





「お、女…っ。マジで……女っ!?」


「あ、あの…?」





1歩近づけば5歩は遠ざかっていく赤い髪の少年。
その動きに疑問を覚えながらも「大丈夫ですか?」と声をかける悠梨。

未だ住宅街に居る2人は、静かな道端で変な攻防戦を繰り返す。
そして少年の背中が冷たい壁に当たった時、彼の表情は一気に引きつった。


それに気づかない悠梨は一定の距離を保ったまま彼を見つめる。
肩から下げている鞄がズルリと落ちるのも気にせず、少年は悠梨を相変わらずな表情のまま見続けた。

だが、悠梨がまた1歩と彼に近づいた瞬間。





「うわあっ!?くッ、よッ、ちッ………っ、スンマセンっしたー!!」





バビューン!旋風を立てるが如く、豪快に走り去って行った少年。
悠梨は目を点にしながらその背中を見送った。





「…な、何だったんだろう。今の」





全くワケが分からない。何故あの人は突然謝って走り去ってしまったのだろうか。

悠梨は頭上に"?"をいくつも浮かび上げて首を捻る。
しかしふと辺りを見渡せば、そこにはほとんど人の姿は見えない。





「もしかして…」





慌てて辺りを見渡し、近くの公園へ向かって高く飾られている時計に目を移す。
長針は"3"、短針は"8"。悠梨はその瞳を大きく開き、大慌てでその場から駆けだした。





「ち、遅刻だよー!」






先ほどのぶつかってしまった男子とまではいかないが、彼女の走り去る姿もそれに負けておらず、
必死で住宅街を通り抜けて、商店街を突き抜ければ、正面には横断歩道が見えてくる。

そこを渡れば坂道を登るだけ。
とは言っても、走っている内にその坂道は彼女にとっては少しツライものでもある。


体力が続くか不安に思えても来るが、まずは此処を渡り切ってしまおう。

そうして走るスピードを少しでも上げるために気合いを入れて足を動かせば、
目前に迫った信号はチカチカと点滅を始める。





(ま、間に合ってー!)





ダーっと駆け抜けようと意気込んだその時、彼女が横断歩道を1歩出ようと踏み出せば、
横から信号の明かりを無視した車が一気に迫りくる。





「――――――っ!」





車の姿を視界で捉えた瞬間には、最早覚悟を決めるしかなかった。

瞼は勝手に深く閉じられ、その身を強張らせて車との衝突に目を瞑る。
しかし、当たってしまうと恐怖に怯えた瞬間、その身は不意に浮遊感を覚えた。


一拍の間を置いてキキーッという音が耳に届く。

それにハッと目を開ければ、悠梨は何故か歩道の手前で座り込んでおり、
先ほどぶつかりそうになった車は最早ずっと遠くへと走り去っていた。





「っ、私……?」


「オイッ、コラー!信号無視しておいて逃げンなー!!」





現状が掴めないで呆然と自分の状態を見つめる悠梨。
しかし、すぐ傍では大きな声をあげて、先程自分と衝突しそうになった車に文句を言う声。

悠梨はぱっと顔をあげてその声の主を見れば、そこには今も尚、自分の背中に手を添えて支えていてくれる
背の高い男の子が居た。陽射しに反射して輝く銀髪を風に揺らしながら。





「あんにゃろー…!運転してたの男じゃねーかよ。ったく、女の子を危険な目に遭わせといて謝罪もないとか
 どういう事だよ。男の風上にもおけねー野郎だぜ」





しばし呆然とその男の子を見つめる悠梨。
もしかして、彼が自分を助けてくれたのだろうか…。

静かに辺りを見渡しても、一番近くに居るのは彼だけ。あとは周りを囲むようにして心配して声をかけてくれる人や、
先ほどの運転手に銀髪の彼と同様、文句をつける人たちも居る。





「…っと、そうだ。大丈夫だった?怪我はない?」


「へっ?」





不意に頭上から声が降ってきたと思って、再び顔を向ければ、あの銀髪の彼がじっと此方を見詰めており、
その真剣な眼差しに悠梨の落ち着いていた鼓動はいっきに騒がしくなった。

しかも彼も先程ぶつかってしまった赤い髪の彼と同等に文句のないビジュアルだ。
2回も連続でこんなに顔の整った異性と会うなんて普通じゃ考えられない。


悠梨は早まる鼓動を抑えながら、なんとか心配してくれる彼に頷き返した。
すると目の前の彼はほっと一息つき、ニカッと笑顔を浮かべた。





「良かった。女の子に傷なんかつけられないもんね。ホントに痛いところは無い?」


「は…」





「はい」と返事をしようとしたが、それを満面の笑みのまま銀髪の彼が予想外な言葉で遮った。





「なんなら俺が診てあげるよ。これでも身体の仕組みには詳しいんだ!」


「え…」


「大丈夫。安心して俺に身を預けて。―――――――勿論優しく…」





銀髪の彼が真剣な眼差しになり、グイグイと距離を詰めて悠梨に近づいてくる。

何やら危なげな雰囲気を漂わせている彼に圧倒されながら、困ったと内心焦っていた悠梨だが、
彼が何かを言いかけた瞬間、彼の笑顔は一瞬にして彼女の視界から消えた。

何事かと見渡せば、目前には痛がるように頭を押さえる彼と、いつの間にか自分の横には知り合いの顔があった。





「何をしているのかな…君は」


嘉山かやま君…!」





その姿を目に捉えた悠梨は、銀髪の彼の時とは違う意味で鼓動を加速させ、驚きを露わにする。

しかし、銀髪の彼は痛みをかかえた頭を押さえながらその声を耳にした途端、ピタリと体の動きを止めた。
ゆっくりと静かに俯いていた顔を上げると、彼の表情は一気に青ざめた。





「あ、えっとですね…。これは、その……」


「言い訳なんか聞いてないよ。僕は彼女に何をしようとして近づいたのかを聞いているんだ」





悠梨には見えない威圧を放ちながら銀髪の少年に満面の笑みを向けて問いかける人物・瀬那せな
今かけている眼鏡をクイッとかけ直し、地面にへたり込んでいる悠梨をチラリと一瞥した。





「まさかとは思うけど、彼女の事……」


「してない、してない!何もしてない!寧ろ正義のヒーローが如く助けたんだって!!」





何故か急に慌て出す銀髪の彼は、瀬那に向かって先ほどのでき事を報告する。

それを黙って聞いていた瀬那だが、不意に悠梨に向きなおり「本当なの?」と問えば、
悠梨は真実を肯定するべく、銀髪の彼に助けられた事を証明した。


悠梨の言葉を聞いて納得してくれたのか、瀬那は彼女の言葉に「本当に怪我はないの?」と
心配した表情で問いかけてくる。

それに慌てて頷き返せば、彼によって生み出された顔の熱を静めるべく、両手で頬を覆った。
そんな彼女の行動に首を傾げながらも、状況を理解した瀬那は、再び銀髪の少年へと視線を向けた。





「君が彼女を助けたという事は分かったよ。けれど……彼女をナンパする理由は一体どこにあるんだい?」





にっこりと満面笑顔。
瀬那は「どうなの?」と何も言わない銀髪の彼にあくまで優しく問いかける。

それにタラタラと冷や汗を滝の如く流す彼は、ゴクリと唾を飲み込むと、急にその場に立ちあがった。
そして――――――――――。





「あー!そういえば俺、今日の1時間目の授業で成績にかかわるテストがあるんだったー!早くいかないとー!」





誰もが聞けば分かる程の感情のこもらない棒読みセリフ。

「んじゃ、そういう事だから!」と爽やかに笑顔を浮かべて赤い髪の少年の如く走り去って行った彼は、
別れる寸前に何故か瀬那の額をツンと小突いて行った。





「…な、何だったんだろう。今の人……」


「あまり気にしない方がいいと思うよ。"ああいう"のは色々と面倒そうだし」





独り言で呟いた言葉はしっかりと瀬那の耳にも届いていたようで、悠梨は返ってきた言葉に瞬きをする。





「でも、悪い人じゃないよね。私の事助けてくれた命の恩人さんだもん」





あんなに危ないところを、彼は迷わず助けてくれた。
下手をすれば彼だって危ない状況だったのに、それでも躊躇いは見られなかった。

悠梨はもしあの人とまた会えたら、今度はちゃんとお礼を言わないと。
堅い決意をし、やっとこそその場から砂埃を払って立ちあがった。


ふと下げていた顔を上げると、何故か優しい笑みを浮かべている瀬那が居て。
悠梨は今までとはどこか違う彼の笑顔に、内心少しだけ違和感を感じた。
それが何なのかは分からないけれど、悪い物じゃない。

うん、きっとそうだ。と納得した悠梨はもう一度スカートをパンッと払い、瀬那と一緒に学校を目指した。




















「つ、疲れたー…」


「お疲れ。川崎かわさきさん」





あれから学校へ行くも、時間の事をすっかり忘れていた悠梨は瀬那と一緒に大遅刻。
既に1時間目は終わっており、着いた頃には2時間目が始まる直前だった。


悠梨が遅刻をしたのは初めての事だったので、担任は怒る事もなく「珍しいなー」と少しだけ驚いていた。
瀬那が遅刻する事は既に何度も目にしているためか、彼にも煩く言う事はなかった。
しかし、1時間目は担任が受け持つ国語の授業。"何も無い"事はなかった。

担任の小島は遅刻してきた2人に説教の代わりに荷物運びを命じた。
次のクラスに持っていく予定だったが、丁度遅刻をしてきた2人が目に入り、小島はその役目を2人に任せた。
お陰で2人は重たい荷物を運び、最悪な事に一番遠いクラスまでそれを持っていく事になった。


そして何とか運び終え、やっと自分達のクラスへと戻ってきたわけだが。
悠梨は慣れない重労働をしたせいか、腕がジンジンとしているようで満足な動きは出来ないようだ。

それを横目に苦笑していた瀬那は、自分の腕を彼女の前に出し、右手で左の腕を揉み始めた。
それに瞬きを繰り返して瀬那を見上げる悠梨。
瀬那は「こうやって腕の筋肉を解してあげると筋肉痛にもなり難いし、後が楽だよ」と教えてくれた。


悠梨は早速彼に教えられた通りに自分の腕をマッサージし始める。
隣で「そうそう」といつもの柔らかな笑みを浮かべて指導してくれた瀬那に、彼女は嬉しそうに笑いかけた。

そんな時。





「あの…嘉山君っ」





不意に廊下から声をかけられ、瀬那は声のした方へと目を向けた。
つられて悠梨も彼に習ってそちらへと目を向ける。

そこには見た目からして大人しそうで、そして頬をほんのりと赤く染めた可愛らしい女の子が居た。
隣には2人の女子が居る。おそらく彼女の友人なのだろう。


瀬那は3人の姿を目に収めると、誰にも聞こえなくらいの小さな溜息を零した。
悠梨がそっと彼に視線を向けると、ちょうど瀬那の視線と重なり「ちょっと行ってくるね」と残して瀬那は教室を出て行った。





「あー。また嘉山君行っちゃったよ」


「あの子って、確か隣のクラスの有馬さんよね」


「あー、そうそう。可愛いって有名よね。やっぱ彼女も嘉山君狙いだったかー」





そんな声が教室の中で広がり始める。
悠梨は彼が去って行った教室の入口をただじっと見つめることしか出来なかった。

瀬那は本当によくモテる。学園一の人気者だ。告白の数だって半端ない。
それでも、ああやって嫌な顔一つせずにきちんと彼女たちの話を聞いてあげる彼は、一体どんな気持ちで聞いているのだろう。





「今まで告白してOK貰った子、本当に居ないんだよな…」


「っ、岳内たけうち君…」





いつの間にか隣まで来ていたじゅんがボソリと告げた。
悠梨は多少驚きながらも、彼が零した言葉に耳を傾ける。

嫌でも耳にする事になる彼への噂。特に恋愛に関しては本当に多い。
告白された。今度は■■クラスの○○さん。
それは絶えず学園中に広がる。それもあっという間にだ。


どれだけ学園内で有名だったり、可愛かったり、キレイだったりする女の子が告白しても、
彼が受け入れてくれた事は一度だって無い。それがこの学園では一番有名な話だ。





「岳内君…あの、」





僅かに口を開いた時、それを遮る様にして淳が言葉を流した。





「瀬那ってさ、いつもにこにこして、誰にだって優しいだろ?」


「え…?あ、うん。そうだね」


「それでさ、よく勘違いしちゃう子……多いんだよ」





瀬那は誰にでも優しい。彼が怒ったところは見た事がない。
それはおそらく、この学園に居る誰もが言うことだろう。

それ故に、彼に好意を持つ女子達は自分が感じ取ったそれ・・が間違いだと気付かない。
彼女達が受け止めた【彼の優しさ=愛情】というのは成り立たない。
だが、それを本気で受け止めてしまった彼女たちは、自分の想いを彼に告げる。


しかし、彼はそれを決して受け止めない。変わらない笑顔のまま、ただ「ありがとう」と。
ただ「気持は嬉しい。」その言葉だけを贈り、彼女たちを傍に置くことはないのだ。

それ故に、ショックのあまり泣きじゃくる女子、仕方ないと諦める女子。
その表に出す感情は様々だが、一番困るのは、まさか自分がフラれるとは思っていなかった女子だ。

そういうのが相手の場合、彼にどこまでも追及してくるのだ。何故私じゃダメなのか。
何故この気持ちを受け入れてはくれない。何故「好き」と囁いてくれないのか。


その度に、彼は彼女たちにある言葉を送るらしい。
それが、





「"僕はただ、困っている人を見過ごせない性分なだけ。少しの優しさで君が僕に向ける印象が変化しようとも僕には関係ないし、
 知る必要もない。けど、その少しの甘さが君に誤解を生むのであれば、僕は今ここで君を徹底的に切り離すよ"」





それはその時向けられた笑顔や優しさとはかけ離れた冷徹さ。

表面上は、君を傷つけたくない。これ以上悲しんでほしくない。
そんな、いつもの彼から見れる本当の優しさが垣間見える。


しかし――――――。





「それって…」





何か含みがあるような気が…。
少しの期待を込めて隣に立つ淳に視線を向ける。

彼も悠梨の視線に気づき、しっかりと目を合わせるも。
彼がくれたのは柔らかい、けれども少しだけ困ったような優しい笑みだった。





(ああ、そうか…)





きっと彼は分かっているんだ。彼の気持ちを。
彼がどうして、あんな言葉を残すのか、何故送るのか。
淳は瀬那の幼馴染。彼の一番のよき理解者だ。

悠梨はひっそりと、ただ淳を見詰めた。


自分には分からない瀬那の気持ち。それを彼はちゃんと分かっている。
それがなんだか羨ましくて、少しだけ悔しくもあった。


憧れているとは思っても、実は彼の事をよく知っていない。
果たして自分が知ってる"瀬那"は、一体どんな人なのだろうか。
それすら曖昧なまま、悠梨は学校に鳴り響く授業開始の合図を聞き届けた。








































あれから瀬那が戻ってきたのは授業開始のチャイムが鳴り終わった直後だった。
教室のドアが開き、次の授業である理科の担当教師が入ると、その後ろから少しの荷物を持った彼が続いてくる。

教卓に荷物を置き、そのまま座席へと戻ってきた瀬那を見ると、彼は苦笑交じりに「ばったり出くわしちゃったよ」と
チラリと理科の担当教師を一瞥して悠梨に向いた。


戻ってきた彼はいつもと変わらない表情で、柔らかな笑みが絶えなかった。
微妙な別れ方をしたため、どんな顔で会えばいいのかと心配だったが、どうやらそれは無駄だったらしい。

悠梨はほっと安堵を着き、瀬那が話す言葉に小さく笑った。


それから2時間続いた授業はあっという間に過ぎて行った。
昼休みになれば教室だけでなく、廊下もすぐに賑やかになる。

悠梨は今日自分が遅刻してきてしまったため、お弁当も持って来ていない事に気づき、
いつもの様に机を並べてくれている茜とあやのに声をかけ、急いで購買へと向かった。


いつもはあまり走る事のない廊下をなんとか通りぬき、やっと購買に到着。
そこは既にたくさんの人で溢れかえっていて、とてもじゃないが買える雰囲気ではなかった。





「ど、どうしよう…」





思わずそう口にしたくなった彼女だが、悠梨が告げる前に別の誰かが小さく零した。
誰かと以心伝心でもしてしまったのだろうか。悠梨はきょろきょろと辺りを見渡すと、意外にも近くにその声を発した主は居た。





(うわぁ…)





悠梨はぽかんと口を開けて、ほぼ真横に近い位置に居る存在を凝視した。

その人物は悠梨とほぼ同じ身長で、髪は太陽に照らされたキレイな葉の色をした黄緑色。
少しツンツンした髪が特徴的だが、それとは対照的にその瞳は可愛らしくもくっきりとしていた。


しかし、そこで悠梨は少しの違和感を覚える。
目線はほぼ同じで、カッコイイというより可愛らしいイメージを持つ男のだが、何かが引っかかる。
それが何なのか分からず、うんうんと唸っていると、不意に少年が此方を向いた。





「うわっ!?す、すいませんっ。まさかこんな近くに人がいるなんて思わなくてっ」





悠梨の存在に今まで気づいていなかったようで、彼は心底驚いたように声をあげ、続け様に謝罪してきた。
それに慌てて悠梨も「こちらこそ、驚かせてしまってごめんなさいっ」と同時に頭を下げる。

しばらく2人して深々と謝罪のポーズをしていると、不意に顔を上げ、一緒になって笑った。
その笑顔もとても可愛らしく、癒しの効果さえ持っているような気がした。





「あ、あの…。もしかして、先輩、ですか?」


「え?えっと、私は2年の川崎悠梨かわさきゆうりって言います。えっと…」


「あ。やっぱり先輩だ。オレは国本燈弥くにもととうや。来週からこの学校に編入する事になって
 今日はその下見っていうか…見学に来たんです」


「へ、編入?」





そこで悠梨は彼・燈弥から感じた違和感にやっと気づいた。
彼はこことは違う制服を着ている。恐らく以前まで通っていた学校のものだろう。

胸元には悠梨の知らない紋章が描かれており、それをまじまじと見つめていた彼女に彼は微笑を漏らした。


しかし、未だに彼女の頭はハッキリとはしない。
今のとは別の何かが引っかかっているようで、悠梨は自分の眉間にやたらと力が入っている事に気づき、慌てて表情を崩した。





「えっと、国本君は…もしかして1年生?」


「はい。確か1年C組に入る事になってたと思います」


「そうなんだ。私も去年はそのクラスだったなー。あ、あと嘉山君も…」


「え?嘉山…?」


「うん。嘉山瀬那君。この学校ではすごく有名人なんだよ。国本君も知ってるの?」





瀬那の名前を出した途端、彼の表情は見るからにして明るくなった。
それに悠梨が思った事を尋ねると、燈弥は嬉しそうに口を開くも、慌てたように「知らないです」と言った。

不思議そうに彼を見つめる悠梨だったが、燈弥は何かに気づき、いきなり彼女の手を掴んで足速に購買をでてしまった。
何が何だか分からず、引きずられるようにして燈弥に付いていく悠梨。

随分と歩き、彼が止まってくれたのは購買から離れ、今の時間帯静かな図書室付近の廊下だった。





「ど、どうかしたの?国本君。急に購買から離れて…」





未だ状況がつかめず、率直に尋ねる悠梨に、燈弥はビクリと肩を揺らして苦笑交じりに首を振った。





「な、何でも無いですっ。ただ、えっと…」


「…?」





歯切れが悪い物言いだ。一体どうしたのだろうか。
悠梨が訝しげにマジマジと彼を見つめると、燈弥は更に慌てたようにして視線を泳がせた。





「そ、そうだ、川崎先輩!」


「えっ?」


「あの、もし時間があったら、これからオレに学校案内してくれませんか?」





唐突な頼みに、悠梨は一瞬だけ言葉を飲む。
しかし、それは直に笑みに変わり、悠梨は二言で返事を返した。





「ありがとうございます!」





そこに浮かべられたのは、とても明るくほんわかした燈弥の笑顔だった。

直に打ち解け合った2人は弾む会話をしながら学校を回った。
悠梨が話せば、くったくなく相槌を返してくれる燈弥。


同じ背丈ではあるが、歩幅は彼の方が少し大きく、悠梨は彼に合わせて歩いていたが
気付けば彼の方が自分に合わせてくれており、悠梨はそれに少しの喜びを感じた。





「あ、ここが北校舎へ続く通路だよ。それで、この階段を下りれば国本君の教室のすぐ傍に出られるよ」


「成程。それにしても、何だかんだで広いんですね、此処」


「うん。私も入ったばかりの時は迷っちゃって、何度か遅刻しかけたよ」


「あー。なんかオレもそれやりそうだなー」


「大丈夫。今年から少しだけクラスの場所が変わって、国本君の教室は下駄箱の正面にある階段を登れば直だから」


「あ、そうなんですか。良かったー。オレ、初日から遅刻は大丈夫そうです」





心底ほっとした表情を浮かべる燈弥。
悠梨はクスクスと笑うと、そのまま北校舎へ向かうため真っ直ぐ行く事を彼に伝えた。

2人並んで歩く廊下。昼休みの後半に差し掛かったころ合いなため、大半の生徒は廊下だったり教室だったりと
様々な所に溢れかえっている。そんな光景を、燈弥は顔を俯かせて眺めていた。

その様子に気づかなかった悠梨は目前まで見えてきた食堂を指さす。





「あそこが食堂だよ。結構美味しいメニューが揃ってるから、国本君も今度行ってみると良いよ」


「はい。是非―――――」





「そうします」と皆まで言う前に、2人の耳には数人の生徒の話声が聞えた。
それは食堂からで、楽しそうに笑い声を含ませている。

普段なら特に気にせずそのまま通り過ぎるのだが、彼女たちの口から悠梨を止めさせるキーワードが出てきたため、
彼女は動かしていた足を無意識のうちに止めていた。





「ねえねえ、見た?この前発売した【ポップアイドル】」


「あ、見た見た!表紙と見開きに【Sky Blue】がいっぱい映ってて最高だったんだけど!」


「最近人気だよねー【S.B】。あの中だと、私はREKKAが好きかな」


「えー。FUBUKIだよっ。あの積極的なトコが良いよねー。顔も文句無いし!」


「分かってないなー。ここはASUKAでしょ。あのミステリアスな雰囲気がたまんないよね」





弾む会話に釘付けの悠梨。
隣に居る燈弥も興味津津で耳を傾けると、不意にその会話の雰囲気が僅かに落とされた。





「そういえばさ、私噂で聞いたんだけど」


「え?何なに?面白い話?」


「【S.B】にTOYAって可愛い顔の子居るじゃない?ファンの間ではドM説があるらしいよ」


「えー。それはさすがに可哀想でしょ。…まあ、分からなくもないけど」


「あの顔だもんね。皆カッコイイ系なのに、彼だけ可愛いよね」


「実はあのASUKAとかに密かにイケナイ事しちゃってるとか?」


「きゃーっ。それヤバイよ、絶対!」





食堂にも関わらず大胆な会話を続ける女子生徒達。
流石の悠梨もそれには気を悪くしたらしく、眉間に皺がよっている。

彼女は気付かないが、隣に居る燈弥の表情も優れない。





「…そんな事ないよ。TOYA君だってすごくカッコイイのに」





小さく呟かれた悠梨の言葉は嘘偽り無い、彼女の本心だ。
思わずそれを耳にして伏せていた顔を上げた燈弥は、曇らせていた瞳は少しずつだが晴れて行く。





「【S.B】は皆素敵だよ。国本君もそう思うでしょ?」





急に彼に向きなおり、そう問う悠梨の顔は険しい。
それに思わず驚き、言葉が出ない分何度も深く頷いて見せる燈弥に、悠梨はにっこりと微笑みを浮かべた。

彼女の突然の変化に未だ唖然とするも、燈弥の表情は確かに明るさを取り戻していた。





「でも、いい加減あの会話は止めてもらいたいな」





見つめたそこに居る悠梨の表情は未だ少し険しい。
密かに【S.B】の大ファンである分、"ああいう"話題は好まないらしい。





「私、ちょっと行ってくるね!」


「えっ」





我慢の限界。悠梨はムッとした顔のまま燈弥から離れてスタスタと歩き出す。
その意外な行動に驚くも、慌てて彼女を止めようと手を伸ばしたその時、2人の視界に別の乱入者を捉えた。

深海色をした髪をなびかせ、優雅に歩いてみせるその姿。
彼・瀬那は今悠梨が向かおうとしていた女子生徒の輪に入って行った。


突然の瀬那の乱入に彼女たちは顔を染めて驚きを露わにする。
しかし、数分もしない内に彼女たちの顔色はサーっと青ざめ、彼に何かを告げて慌てて去って行った。

同時に垣間見えた、彼の普段とは違う雰囲気を放つ横顔。
笑顔で彼女たちと話ていたはずなのに、それを見送る横顔はどうにも冷たい眼差しを向けられていた。


一体何がどうなって、彼はどうしたのだろう。

気になって2人してじーっと瀬那の背中を見詰めていると、不意に彼が自分達へと振り返り、視線が合う。
慌てて視線を泳がせる似た者同士の2人に、瀬那は肩を揺らして笑った。





「今日は何かと縁があるね、川崎さん。今日はここでお昼?」





目の前まで歩いてきた瀬那に話しかけられ、慌てて答えを探す悠梨は、咄嗟に出てきた言葉を並べた。





「え、えと、そうじゃなくて。彼…国本君に学校案内をしていたの」


「学校案内?」





あわあわしながら斜め後ろに立つ燈弥を紹介する悠梨。
それにビクッと肩を揺らして瀬那を見上げる燈弥の目は、どこか落着きがなく、そわそわしている。

瀬那は無言で彼を一瞥して悠梨へと視線を戻すと、いつもの笑みをそこに浮かべた。





「優しいんだね、君は」


「えっ」


「だって、昼食も抜いて彼を案内してるんでしょ?先輩としての意識が強い証拠だね」





瀬那の爽やか過ぎる笑みに悠梨は苦笑いを返すことしか出来ない。
まさか昼食の事を忘れていただけとは、さすがに憧れる本人を前にはとてもじゃないが言えなかった。





「それで…国本君って言ったっけ」


「え?は、はいっ!」


「君はお昼食べたの?もしまだなら、これからここで彼女と食べてみたら?見学がてら、丁度良いんじゃないかな」


「そ、そうですね!是非そうしますっ」





気合いがありすぎるほど力んだ声に、悠梨はパチクリと瞬きしながら燈弥を見る。
瀬那は瀬那で穏やかな笑みを浮かべ続け、相変わらずおどおどしている燈弥の頭をぽんぽんと撫でる。

その光景は先ほどの彼とは打って変わった表情で、いつも目にする微笑みとはまた違いを見せた。


また僅かに感じ始める違和感。
考えてみると、これは他の場所でも感じ取れたものだ。
それはいつだったか…。きっと燈弥と出会う前、もう少し前の事だ。

悠梨は2人が話している間にその考えを頭の中で巡らせた。
果たして何処で感じ取ったのか。この違和感は一体何に反応しているのか。


しばらく考え込んでいると、傍で自分の名を呼ぶ声。
慌てて俯いていた顔を上げると、目の前にはキレイに整った瀬那の顔が。

目の前に見えた彼の顔に慌てて身を引くと、瀬那は「驚かせてしまってごめんね」と告げる。
それに首を横に振り、彼等に赤くなった顔を見られぬよう頬を抑えながら、悠梨は目先の2人に目を向けた。





「それじゃあ、職員室に用があるから僕は行くね」


「う、うんっ」





絶えない笑みを浮かべて背を向ける瀬那に、燈弥は何か言いたげに口を開くが直に閉じる。
すると、肩越しに瀬那が振り返り、唐突に彼の元まで戻ってきた。
それからポンと燈弥の肩に触れて、今度こそ去っていく。

彼の思わぬ行動に瞬く悠梨とは対に、燈弥は目をランランと輝かせていた。




















昼休みが終わりを迎えると、燈弥は職員室へと向かうべく、悠梨にお礼を残して去って行った。
途中いろいろあったが、別れ際の彼はとても嬉しそうに明るい表情を浮かべていた。

きっと何か彼にとって良い事があったのだろう。
悠梨は自分の事のように嬉しさを感じ、軽い足並みで夕焼け色の空の下を歩きながら下校していた。
そんな帰り道、





「あれ。もしかして……悠梨?」


「え?」





少し離れた前方から名を呼ばれてふと視線を彷徨わせる。
一体誰に呼ばれたのだろうか。考える間もなくして、その人物は彼女の視界にしっかりと映し出された。





「あ!やっぱ悠梨だろ。俺の事覚えてるか?幼稚園から一緒だった長谷川政史はせがわまさしだよ」


「え…ええ!?あのジャングルジムでばっかり遊んでた長谷川君?」


「……その覚え方はどうなんだ」





どうにも呆れた表情を浮かべる悠梨の馴染みある少年・政史。
彼は彼女との距離を縮めて歩いてくると、まじまじと彼女を見詰めた。





「しっかし、2年目の学校生活だっていうのに、お前が居る事に気付かなかったなー」


「ウチの学校生徒数多いし、広いもの。私だって長谷川君が居ること知らなかったよ」


「んじゃ、お互い様って事か。つーか、"長谷川君"じゃなくて名前で呼べよ。堅苦しい」


「え、で、でも…」


「俺が良いって言ってんだから良いんだよ。俺だって昔同様に悠梨って呼んでんじゃん」





学校からの通学路で悠梨が絶対に通らねばならない少し急な坂道にある電柱に背を預けて立つ政史は、
横目で悠梨をちらりと見つめる。

夕陽に照らされて少し眩しく、目を細めながら彼を見返した悠梨は苦笑交じりに頷いた。


ただ少し話すだけで蘇ってくる懐かしい感覚。
政史とは幼稚園と小学校は一緒だったが、中学に上がる手前に、彼は引っ越してしまったため、会わずにいた。

しかし、2人はしばし時を経て再会した。
懐かしの友人との再会に、悠梨は素直に喜びを示した。



仲良く笑い合う2人。
たくさんの出会いの巡り会わせがあった本日、悠梨の運命の歯車は静かに動き出していた。

誰にも気づかれず、ただゆっくりと回り始める、それ。
そして、政史との再会によって、彼女の歯車はまた一つ、変化をもたらしているのだった。

それもまた、彼女に気づかれることなく、ひっそりと――――――――…。





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