この日は朝から雨だった。
窓をたくさんの小さな粒が濡らし、屋根を音を立てて刺激していく。

カーテンの隙間から覗いた空は暗い。
朝なのか、昼なのかも分からないほど、それは雲で覆い尽くされていた。


いつものように長い髪を頭の右側に固定し、結ぶ。
既に彼女のチャームポイントになりつつあるその髪は、いつもゆらゆらとスキップするように揺れる。

しかし、今日だけは少し違った。雨のせいか、湿気のせいなのか。
明るいオレンジ色の髪は力なく垂れ、ただただ、静かに風に撫でられるだけだった。





「―――――…」





重たい腰を上げてソファから身を起こす。
最終チェックをしに洗面所に行き、今の自分の顔を見れば、悠梨ゆうりはひっそりと溜息をついた。

あまり眠れなかったのだろうか。目元が少しばかり赤く腫れている。
このような状態で学校に行けば、あやのや茜達に心配をかけてしまうだろうか。
そんな不安が僅かに胸を過る。


しかし、サボる訳もいかず、悠梨はもう一度鏡を見直し、両手で自分の頬を一度だけ叩き、玄間へと足を進めた。
ドアを開ければたくさんの雨粒がお出迎え。
淡い桃色のチェック柄が入った傘を開いて、水たまりに足を入れないよう注意しながら歩き出した。

たくさんの雨粒が歩道を濡らす。
いつも目にする風景が、とても重く感じて、悠梨の気持をも暗くする。





「あ…」





そんな時、彼女の視界に昨日あの赤い髪の少年と出会った場所が映った。
住宅街のちょうど半分を通った所にある、その十字路。
普段はあまり車も通らず、静かな道。今日は雨のせいか、余計に静かに感じる。

ピチャピチャと水を踏みながらその角へと近づく。
今度は誰が来ても平気なようにと、今日は少し距離を開けて通ってみた。

けれど、今日は誰ともぶつからず、あの赤い髪の少年とも会わなかった。


やはりあれは偶然の出来事だったのだ。そう頻繁に起こるわけがない。
悠梨は一人苦笑しながらそのまま曲がった道を進んだ。










『まだ分からないのか?これが……"真実"なんだよ』











不意に昨日言われた言葉を思い出す。
あれは夢じゃないのか。自分が聞き間違えたとかじゃないのか。

悠梨は思わずその場で足を止めて目を閉じる。
認めたくないような、夢であってほしいような。
複雑な気持ちが彼女の中を駆け巡る。





『で、どうなんだ?いつから俺の話を聞いていた』





普段は使わない、否、使った所を見た事もないその"俺"という言葉。
いつもは"僕"と付けながら、優しい穏やかな笑みを浮かべる彼。

しかし――――――――――。





『本当に…あの嘉山かやま君…?』


『今の俺を見てまだ分からないのか?つくづく鈍感な奴だな…お前は』





彼女の言葉に、まるで「くだらない」とでも言うように嘲笑う瀬那せな





『いいか?一度しか言わないからよく聞け』





そう言うと、突然悠梨との距離を詰め、彼女の腕を掴んだまま顔が近づく。

あと僅かで鼻先が触れ合ってしまいそうな程間近に迫った彼は、そのまま耳元にかかる彼女の髪を掬い上げ、唇を寄せる。
囁かれた言葉は彼女の鼓膜を大きく震わせ、思わず身体の力が抜けてしまった。





『これが本当の俺なんだよ――――――…』





甘く溶けてしまいそうな程優しい声色。
穏やかで何処までも深く遠くまで響くその低温に、悠梨は恥ずかしくなって彼から顔をそむけた。

そんな悠梨を気にもせず、あっさりと彼女から元の距離に戻った彼は、未だ動揺を見せる彼女を不敵に見つめた。





『単刀直入に言う。さっき聞いた事は誰にも言うな』





その言葉に逸らしていた顔を瀬那に向けた。
同時に彼との視線がしっかりと重なる。

瀬那は合わさった悠梨との視線を決して逸らすことなく、細めたその瞳で彼女を射抜いた。





『お前がどこから聞いていたのかは知らないが、これを口外されると此方としても色々と面倒なんだよ』





『分かるか?この意味が―――――――?』瀬那はまるで悠梨を挑発するように口元を上げて問いかける。
悠梨はいつもの瀬那との変わりように、未だ思考がしっかりと着いていけていないが、なんとか震える声で答えた。





『それって…、やっぱり嘉山君が【Sky Blue】のASUKA君だから…?』


『なんだ。やっぱりイイところだけ聞いてたんじゃないか』





その言葉に悠梨は喉を詰まらせる。
今の瀬那は普段悠梨が目にしている彼とはまさに正反対の人間で、悠梨は少なからず恐怖を覚えていた。

いつもとは違う声。
いつもとは違う微笑。
いつもとは違う態度。


違う事が多すぎて、悠梨は彼が自分に向ける視線の冷たささえ感じていた。





『……っ』





しばらく彼から視線を外し俯いていると、頭上から静かな溜息が聞こえた。
そっと顔を上げようとした時、同時に彼女の頭に温かな感覚が伝わってきた。

それに視線を上げると、そこにはあの冷たい瞳ではなく、優しい目をした瀬那が居た。
悠梨は出かけた言葉を飲み込み、思わず驚きの眼差しを送った。
それに瀬那は再び軽い溜息を漏らす。





『……悪かった』


『え…』





すると瀬那は少しだけ面倒くさそうに視線をそらし、





『だから…怖がらせて悪かったって、言ってるんだ』





その時、悠梨は気付いた。
困った顔をした瀬那の、本当の彼の隠れた優しさに。

瀬那は静かに悠梨から手を離して、目と瞑る。
再び空色の瞳を覗かせた彼は、黙ったまま彼女を見詰めた。





『詳しい事は明日話す。―――――――無論、お前が誰にも言わないと約束出来るならな』





意地悪そうな呟く瀬那。
それでも、悠梨は直に頷いて見せた。





『ぜ、絶対言わない!約束だって守ってみせる!もしも信じられないっていうなら、誓いのキスでも血判でもやってみせるよっ』





悠梨の勢いある言葉に、瀬那は若干引きながら疑いの眼差しを向けた。





『……お前、本気か?』


『…か、嘉山君がやれと言うなら…私はやってみせます!』


『――――――いい。やらんでいい!』





そんなコント状態が続いたが、その後も悠梨は瀬那に「絶対に言わない。約束する」と何度も誓って見せた。
結局口約束に変わりはないけれど、それでも瀬那はそんな彼女の勢いに押され、渋々分かったと頷いてくれた。

もしも約束を破った時には…。その後は瀬那にしか分からない。


空を見上げれると、いつの間にか辺りは夕陽色に染まっていた。
聞こえてくるのは部活動に励んでいる男子生徒達の活気溢れる声。

その事を確認できた時には、悠梨の慌ただしく動いていた鼓動も今となってはすっかりと落ち着いていた。





『おい、いつまで此処に居る気だ?置いていくぞ』





そこへ瀬那の悠梨への呼びかけが聞こえる。
振り返れば、瀬那は今にも屋上を出て行こうとそのドアを開けていて、肩越しに悠梨を見ている状態だった。

悠梨は慌てて忘れていたお弁当箱を拾い、瀬那の元へと駆け寄った。


この日、悠梨は瀬那と【秘密同盟】を結んだ。
まさかあの憧れの的の彼と、そしてあの大人気アーティストS.BのASUKAとこんな事になるなんて…。
悠梨は内心驚きのまま、この信じられない現実に密かに喜びを感じていた。

不謹慎と分かっていても、ずっと身近にいて、けれども遠くの存在に感じていた彼と秘密の繋がり。

この興奮した気持ちをそう簡単に隠しきることが出来ず、悠梨が密かに頬を緩めていると、
隣から『何笑ってんだ』と額に軽いチョップを当てられた。


痛くない、その優しいチョップでさえ今の悠梨には嬉しい事だった。
触れられた額に手を置いて隣を歩く彼を見上げる。

今ではしっかりと普段目にする"優等生・嘉山瀬那"となって、眼鏡もきちんとかけて歩いている。
しかし、本当の彼は――――――――――…。





「…ッ!?」





止めていた足を動かし、商店街を抜けた先にある大通では、同じ晴華学園の生徒の姿が見えてくる。


目先の横断歩道を渡って、あとは上り坂さえ超えてしまえば、学校は直そこだ。
悠梨は車用の信号が赤になるのを待ちながら、向側を目にする。

すると、そこには腰くらいまである長い髪を揺らした女子生徒が居た。
あやのだ。悠梨は珍しく友人と同じ時間帯が重なった事で、少しの喜びを露わにした。


速く信号が変わらないかと、目を向ける。
車用のそれが黄色になった。歩道用のも青へと変わる。

悠梨は待ってましたと傘を握り直して横断歩道を渡ろうと踏み出せば、突然誰かに肩を掴まれた。


急に揺らいだ視界に付いていけず、そのまま後方へとよろめいてしまった。
とっさに感じた不安を胸に瞼をきつく閉じれば、暗い視界で聞こえてきたのは、意外にも明るい声だった。





「どうした?悠梨。もしかして強く引っ張り過ぎた?」


「っ、茜…ちゃん」





恐る恐ると開いた瞳で見た存在は、同じく友人の茜だった。
悠梨はほっと胸を撫で下ろし「大丈夫だよ。ちょっとビックリしただけ」と彼女に告げる。
それに安心した茜は向側にあやのを見つけたと悠梨に伝え、一緒になって横断歩道を渡った。





「おーい!あやのー」


「あら。茜に悠梨ちゃん、おはよう」


「おはよ!あやのちゃんっ」


「あら。何だか機嫌が良さそうね。良い事でもあった?」





あやのの鋭い言葉に一瞬目を張るも、直に彼女の言葉に頷いてみせた。





「うん!すごくいい事!でも内容は秘密だよー」


「えー!何、それ。つまんないじゃんか、悠梨。素直に白状しろー!」


「えへへ。いくら茜ちゃんでも、これだけはダメなんだ。…ごめんね」





納得いかないといった表情を浮かべる茜。
悠梨はそんな彼女に戸惑いを見せたものの、何度も誓い、約束を立てた事を他の人に知られるわけにはいかない。

なんとかして話を逸らさないければ。
いざ行動に移そうとした時、3人の元に元気よく彼が走ってきた。





「お!初めてだな、通学途中で会うの」


「あ、岳内じゃん」


「おはよう。岳内君」


「おっす!女子ってホント立ち話とか好きだよなー。こんな所に立ってないで、さっさと学校行ってから話しゃあいいのに」


「女の子はこうした会話の仕方も好きなのよ、岳内君。嘉山君に教わってないの?」


「……し、知らねーな」





あやのの言葉におどおどと目を泳がせた淳は、まるで逃げるようにして走り出す。
それを面白そうに追いかける茜と、どうしようと慌てる悠梨。

あやのは悠梨を落ち着かせると、先に行ってしまった二人の後をマイペースに追いかけた。





















学校へ着くと、悠梨達は下駄箱前で先に行ってしまった茜等と合流する。
そのまま教室へと向かえば、その中は異様にどんよりとした空気が流れていた。

何事かと悠梨が自分の机のある方へと目を向ければ、隣の席には既に瀬那は登校していて。
しかし、何故か彼の机には我がクラスの委員長である前野 聡まえの さとるが縋りつくようにして項垂れていた。





「ちょ、委員長!?どうしたの、そんなに暗い顔して」





茜が代表で声をかければ、瀬那と聡は同時に振り向く。
そのまま「ああ、山口さん達…おはよ…」と、なんとも力なく呟けば、聡はそのまま机に突っ伏してしまった。





「おい、瀬那。どうなってんだよ、インチョーの奴。メッチャ元気ないじゃん」





今の聡に話しかけてもダメだと察した淳は、自分の幼馴染である瀬那へと声をかける。
すると瀬那は苦笑交じりに事の経緯を話してくれた。





「ほら。もう直【時雨祭】があるでしょ?それなのに、僕達のクラスはまだ何をするのかさえ決まっていない」


「あー。そういやぁ、そうだな。なんだかんだで結局引き伸ばされてる感じだし」


「うん。それでね、前野君は今朝、小島先生に言われちゃったんだよ。"もう2週間切ってるぞ"って」





その瞬間、クラスメイト全員に衝撃が走った。
その光景を見れば、今まで彼等はその事の重大さに気づいておらず、ほのぼのと生活していたことが判明する。

聡が更に重たい溜息を付くのと同時に、瀬那は申し訳なさそうに表情を落とした。





「ごめんね、前野君。僕、ほとんど力になって上げられてなくて…」


「いや、いいんだ。嘉山君の事情は僕も少しだけ知ってるし、責めるつもりもないよ。
 だって君は、遅れてきてもちゃんと僕に今の状況やアドバイスを出してくれるじゃないか。それに引き替え…」





そこで聡の表情がギラリと変わった。
机に勢いよく両手を叩き、クラス中を一気に見渡した。





「ちょっと、君達ィ!部活するのも結構!帰宅するのも結構!青春に精を出すのも大いに結構!!
 しかーしッ!一つくらいアイディア出してから言っても罰当たらないでしょ!?」





かけていた黒縁眼鏡を外し、軋むまでギリギリと握りつぶしながら熱演する聡。
既にその瞳には涙がたくさん流れており、彼の苦労が一瞬で理解出来た。





「これまで、嘉山君に相談しつつ僕なりにアイディアを出したが、ことごとく小島先生と嘉山君に止められ、
 挙句の果てには"お前って意外とセンスないんだな"なんて言われる始末!」





勢いあまって己の感情をそのまま表へと出しながらの彼の熱演は続く。
こんなに熱く激しい主張をした彼を今まで見た事がなかったクラスメイトは、それはそれは驚いている。
悠梨と淳はもはやは目を点にしながら彼を見つめることしか出来ず、あやのは「あらあら」と言いながら笑っている。

テンションもあがり、全てがヒートアップしてきた頃、彼が握る眼鏡にヒビが入ったのを見た瀬那は
慌てて彼を落ち着かせ、眼鏡自体が壊れる前にその手から眼鏡を取り上げた。





「…とにかく。僕のアイディアだけではこのクラスは【時雨祭】に参加できない!
 よって、残り1週間で完璧に完成させられる"何か"をアイディアとして出してくれ!というか作ってくれ!!」


「……委員長。それは流石に難しいと思うよ」





瀬那が言い終えると、丁度噂の担任・小島が入ってきて「おい、前野。どうだ?決まったか?」と
これまた空気の読めない質問を投げかけてくる。
おそらく業とした行為だろうが、それに大きく傷ついた聡は肩をガックリと落とし、





「ねぇ、嘉山君」


「ん?」


「…僕、どうして学級委員長なんかやってるんだろう…」


「……」





さすがにその理由までは分からない。瀬那は胸中でそう呟き、またしても重たい空気をまとった聡を静かに見送った。

それから時間は過ぎ。あっという間に昼休みとなった。
休み時間毎にクラスは一丸となってアイディアを出していったが、やはりなかなか決まらず。
結局ゴールが見えないまま、それぞれランチタイムとなった。


悠梨は一息ついて教科書とノートを机の中に仕舞うと、チラリと隣を見た。
そこは勿論のこと、瀬那の座席。

昨日はあんな信じられない出来事があったため、悠梨は今日一度も彼と口を利いていない。
未だに昨日の事は全て夢だったのではないか、と自問するも、結局曖昧な答えしか浮かばない。


一度彼と話してみればその答えがハッキリするかもしれない。
そう思って勇気を振り絞って隣を見たのだが、そこには既に瀬那の姿はなかった。

ガックリと肩を落として、今朝の聡のように机に突っ伏したとき、肩に誰かの手がトントンと触れてきた。
顔だけ横に向けてその姿を捉えると、悠梨はパッと顔を上げた。





「川崎さん。ちょっといい?」


「岳内君?」


「ちょっと話したい事があるんだ。お弁当持って付いてきて」





悠梨は何用かと不思議に思ったが、淳の様子からして教室では話しにくそうだ。
席から立ち上がり、茜達に一言告げると、悠梨はそのまま淳に付いて行った。

何も聞かされないまま淳に南校舎の屋上への入口へと連れてこられた。
しかし、此方の屋上は立ち入り禁止になっているはず。





「あの、岳内君。入って良い屋上は反対の、北校舎の屋上なんじゃ…」


「ああ、平気。もう許可は取ってるから」





笑って答えた淳は、ポケットから小さな鍵を取り出す。
小さな音を立てて開いた合図を出せば、淳は鍵をしまい、そのまま屋上のドアを開けた。





「川崎さん、入りなよ」


「あ、うん」





本当に入っていいのかと迷ったが、彼女が入るまでドアを支えてくれている淳の姿を目にすると
悠梨は急いで屋上へと足を踏み入れた。

すると眩しい陽射しが気持ちよく注がれた。
目を細めて空を見上げれば、あれだけ曇っていた空は快晴とまではいかないが清々しく晴れていた。

ぼーっと空を仰いでいると、後ろからカギを閉める音がする。
振り返れば、淳がちょうど鍵を仕舞うところだった。





「どうして鍵を閉めるの?」


「だって立ち入り禁止の場所だし」





再びニカッと笑って答えると、彼は悠梨を少し陰のある場所へと案内した。
するとそこには――――――――。





「か、嘉山君…!?」





そこには一人座った瀬那の姿があった。
静かに空を見つめていた瀬那だったが、彼女の存在に気づくなり、いつも目にする穏やかな笑みを浮かべ、





「やあ、川崎さん」





にこりと微笑んだ彼は、本当にいつものままの彼。
それを見ると昨日の出来事がやはり夢だったのではないかと余計に思ってしまう。
やはり、今の彼こそが本当の嘉山瀬那なのでは…、と考え込んでいると、不意に彼女の足元が陰り、見上げれば。





「いつまでそこに突っ立っている気だ?」





悠梨の目の前にはいつの間にか瀬那の顔があり、





「か、かかかかか嘉山君!?」





突然の出来事と驚きのあまり、彼女は大きく目を見開いた。
すると瀬那は意地悪な笑みを浮かべ、彼女に更に近づく。





「お前…。まさか昨日の事を夢だったんじゃないか、なんて思ってないよな?」





まんまと図星を指された悠梨は思わずビクリど挙動不審になる。
分かりやす過ぎる彼女の姿を目にした彼は、呆れがちに溜息を漏らした。





「お前って奴は…。ほんと、どうしようもない位におめでたく出来てるな」





瀬那は悠梨から離れると、かけていた眼鏡を外しながら先ほどまで座っていた場所へと戻る。
落着きを取り戻したことを確認した淳は、そのまま瀬那の隣に腰かけた。

いつまでも呆然とそこに立ったままの彼女を一瞥すると、瀬那の視線に気づいた悠梨もまた慌ててその場に座った。


この時改めて昨日の出来事が夢ではなかったのだと実感する。
まだ半分も信じ切れていない悠梨だが、今の彼こそが本当の嘉山瀬那なのだと、それだけは信じ切れた。

しばらくぼーっと考え事を再開していると、突然額にズビシとチョップが当てられた。
はたと我に返ると、今彼女にチョップを食らわせた張本人の瀬那は呆れた顔で彼女を見つめていた。





「…痛いです、嘉山君」


「お前がぼーっとしすぎてるからだろ」





瀬那は胡坐をかきながら左足の上に左ひじを乗せて顎を支える。

これがあのASUKAなのかと更に驚きをみせるも、瀬那はまるで気にした様子もなく、その体勢のまま淳を見つめ。
そして悠梨へと視線を戻した。





「正直、知られたからにはそれ以上検索出来ないよう口止めさせるんだが…。
 お前の場合、女子だし、俺としても乱暴な事はしたくない。だが…」





瀬那は曲げていた背筋を伸ばし、真剣な表情を彼女に向けた。
今から彼が話す事はそれはそれは秘密事項だ。芸能関係者でもない人間に話していい事じゃない。

しかし。





「瀬那の奴【Sky Blue】のメンバーと賭けしてさ、"もし誰かにバレたら正直に話しなさい"って言われてるんだってよ」


「か、賭け?」


「タケ。お前は余計な事を言うな」


「だって事実だし」





ケラケラと楽しそうに話す淳を憎らしそうに見据える瀬那は、再び面倒だという表情を表に、悠梨へと戻した。





「あ、あの…」


「"賭け"っていうのは、俺がS.Bの奴等とした事だ」


「えっと…?」


「まあ、半分以上向こうからの強制だったが、約束をした俺も俺だな…」


「おい、瀬那。それじゃあ、川崎さんが分からないって」





淳の言葉に悠梨を確認すれば、彼女は見るからにして"?"を頭に浮かべている。
その視線を淳へと自然に向ければ、彼は首を左右に振り"自分で話せ"と目で訴えてきた。

今日はため息日和だ。
瀬那は諦めた様子で未だ"?"を浮かべている悠梨に話し始めた。





「REKKAとFUBUKIは知ってるな?」


「う、うんっ。ギターとドラムの担当だよね」


「ああ。アイツ等は本当に人をおちょくるのが好きで、悪戯もからかう事も大が付くほど好物だ」





芸能人を間近で見ることがほとんどない悠梨にとっては、今瀬那が話す事は未知の世界だ。
大好きな彼等の新たな一面を知れて嬉しいが、それを話す瀬那の表情が歪んできているので素直に喜べない。





「まったく…。その賭けの内容が、俺が猫かぶっている事がバレるかバレないかっていうもので、
 その期間は1年間。始めたのが去年の夏だったから、あと2か月もてば良かったのに…」





その時、瀬那の恨めしそうな視線が悠梨に向けられる。





「お前に烈火と連絡している現場を見られちまったお陰でこの様だ」


「えっと、あの…」


「あいつ等も何処で話を聞きつけたんだか…。昨日、あれから事務所に行けば直にこの話で持ちきりになった」


「…ご、ごめんなさい嘉山君」


「別にお前を責めてるわけじゃないから気に病むな、アホ」





ア、アホ!?
悠梨は精神的ダメージを大きく受けた。

あの憧れで、そして大ファンな彼にまさかの「アホ」発言。
悠梨は胸を押さえてフラフラと壁に寄りかかり、密かに涙した。

そんな彼女をお構いなしに、淳は瀬那の話に笑い声を我慢して肩を揺らす。
勿論自分の事をそこまで可笑しそうに笑う事を許さない瀬那は、淳の背中を思い切り叩いた。





「いっ……!!何するんだよ、瀬那!そこまで力いっぱい叩かなくても…!」


他人ひと事だからって調子に乗るなよ…?」





その場に北風が吹き荒れた気がした。
まだ春。もう直夏と言うのに、何故この場はこんなにも寒いのか。

淳は鳥肌が立っている両腕を両手で摩り、瀬那から悠梨へと逃げるようにして視線を移した。





「と、いうことはさ。つまりは川崎さんて、運が良ければS.Bの他のメンバーと直接会えるかもしれないな!」


「えっ」


「だって、瀬那は誰かに猫被ってるとこを知られたら報告するよう言われてたんだぜ?
 しかもあの好奇心旺盛の奴等だ。どんな人に知られたとか興味持たないはずないって!」


「で、でも。さすがにそれは無いと思うよ。私は一般市民だし、彼等は芸能人。直接会ったりなんかしたら大変だよ」


「ああ。大いに大変だ」





「だがな…」瀬那は悠梨の言葉に同意を見せるも、その表情は浮かないままだった。
悠梨はそんな彼に訝しげな視線を向けると、瀬那は彼女に淳の発言が現実になると首を左右に振って見せた。

その瞬間、悠梨に衝撃が走る。
そんな、まさか。
ありえない、ありえないと胸中で呟きながら顔をゆっくりと左右に振る。

しかし、それを瀬那が許さなかった。





「俺も反対したんだが、烈火と吹雪がお前に会いたいと煩いんだ」


「ええ!?」


「あっはははは!やっぱなー!その2人なら絶対譲らないと思った」


「っていうか、岳内君。もしかしてS.Bの二人と知り合いなの?」


「知りあいっつーか、最早友人?」


「と、友達!?」






悠梨はこの場に来て更に驚きを覚えた。
まさかこんな身近に芸能人と友達関係にある人間がいたとは思ってもいなかったからだ。

それに外見からして淳は、はっきり言って友人に芸能人が居るとは見えないし、思えない。
その驚くべきギャップを考えるも、瀬那と幼馴染な関係にある時点でそれは否定されるものなのだ。





「証拠見せてあげようか?…ほら、これ。以前烈火が瀬那の家に遊びにきた時3人で撮った写メだ」


「…!!」





淳はズボンのポケットからグレーの携帯を取り出し、それを悠梨に開いて見せた。
そこには芸能人としての彼らではなく、学生としての男の子が3人で写っていた。

つまりはそれぞれの制服姿で、真中に瀬那、左に烈火と右に淳が並び、瀬那の肩に腕をまわしてピースをしている。
実に仲が良さそうな光景だ。瀬那も素の表情でしっかりと写真に写っている。


悠梨は今にも鼻血を拭きだしそうな勢いで淳の携帯から慌てて視線をそらした。
そんな彼女の反応を面白そうに見る淳は、彼女を追い込むかの様に次々と彼等と撮った写真を見せていく。

徐々に顔を赤く染め上げ、挙動不審になりつつある悠梨はフラフラになり。
それでも見せることをやめない淳に呆れた瀬那は、そんな彼から携帯を取り上げた。





「あー!何するんだよ、瀬那!折角川崎さんに見せてあげてたのにー」


「アホ。人の反応を見て楽しんでいただけだろうが。…まったく」





溜息を漏らしながら淳に携帯を返す瀬那。
その間に深呼吸を繰り返して落着きを取り戻した悠梨を確認すると、瀬那は改めて話を再開した。





「川崎。お前、今日の放課後空いてるか?」


「放課後?」


「ああ。少しでいい。俺に付き合ってくれ」


「つ…ッ!?」





悠梨は彼の「付き合う」という言葉に過剰に反応した。
頭ではそれがデートのような類じゃない事くらい分かっているものの、やはり言う人物が特別では勘違いもしたくなる。

悠梨は高鳴る鼓動を抑えつつ、なんとか彼の言葉に頷いた。





「じゃあ、放課後、HRが終わったら坂を下ったところにある交差点に来てくれ」


「え、交差点?」


「俺はこれから仕事が入ってる。一旦早退するが、戻って来れる可能性が低いから、学校を出る時に連絡をくれ」





瀬那は自分の青色の携帯を取り出すと悠梨を見詰めた。
それに慌てて反応し、悠梨は自分の淡い桃色の携帯を取り出した。





「赤外線使えるよな?送るから受信してくれ」


「は、はいっ」





慌てて画面を切り替えて瀬那の持つ携帯に自分のそれを向ける。
少しして画面に受信完了の文字が出た事を確認すると、瀬那はさっさと携帯をポケットにしまった。





「じゃあ、悪いが俺は行く。連絡は電話でもメールでも好きな方でしてくれ」


「はいっ」





悠梨がぼーっとしながら携帯を見ている間に言うと、彼女は慌てて顔をあげて何度も頷いて見せた。
それに微笑して「じゃあな」と残した彼は、そのまま屋上を出て行った。

その場に残ったのは淳と悠梨の2人だけ。
悠梨は瀬那が去ったドアをしばらく見つめた後、再び携帯へと視線を落とした。


そこにはハッキリと【嘉山瀬那】の名前と、彼のアドレス電話番号が映っている。

昨日に引き続き、これが夢ではないかと疑いたくなることばかり自分の身に起こっている彼女は、
一度自分の頬を抓ってみた。やはり痛い。


悠梨は何度か瞬いて、隣に居る淳を一瞥しながら彼の頬を突いてみる。
彼女の突然の行動に一瞬驚くも、淳は苦笑しながら「現実だって」と笑って言った。





「…夢じゃ、ないんだ…」


「あたりまえ。現実だって、川崎さん」


「だって、あの嘉山君が…ASUKA君が、私とアドレス交換…」


「それなら俺も瀬那以外のS.Bメンバー全員と交換してるけど」


「……。――――――ええっ!?」





それからというもの。
悠梨は昼休みが終わるまで淳と2人で屋上にて、彼等との出来事をたくさん話した。

淳の話題の中心はやはり瀬那だったが、彼を中心に集まって行動する他のメンバーとも、
またたくさんの出来事があり、悠梨は淳の話を興味津津で耳を傾け続けたのだった。



それから時刻は放課後になり、悠梨は誰にも見られないようにと図書室の傍で携帯を開いた。
もし誰かに瀬那と話しているところを聞かれても、きっと彼にとって面倒事が増えてしまうかもしれない。

考えた結果、悠梨はメールを送ることにした。



"今から学校を出ます。"



なんて可愛げなく、そしてあっさりしたメールなんだろうか。

普段ならあやのや茜とのメールはもっと華やかというか、記号の一つや二つは使うのだが…。
こんなにシンプルで寂しいメールは初めてだ。


それに、瀬那相手にどんな文を送ればいいか分からないという理由もある。
悠梨は思い切って送信ボタンを押すと、そのまま下駄箱で靴を履き換え、早々に学校を出た。

駆け足で坂を駆け下り、直に見えてきた交差点の前で足を止めた。
横断歩道の信号はもう直青へと変わる。
それと同時に再び歩き出して、瀬那との待ち合わせ場所に行くも、彼はまだ来ていなかった。





「走ったから早く着きすぎちゃったかな」





悠梨は緊張と好奇心、そして少しの不安を抱きながら瀬那が来るのを待つ。

視界には行き交う車と人々。
賑やかなこの場に立って、彼が着くのをじっと待っていると、不意に携帯が震えた。

慌てて取り出せば、受信に瀬那の名前が。
悠梨は直にそれを開き、そして、絶句した。

何故なら、





『悠梨ちゃんへ☆

 ごめんね!俺、もうちょっと時間がかかりそうなんだ、だから少し遅れるね( >Д<;)
 女の子を一人で待たせるなんて最低だよね?(´・д・`) なるべく早く行くから、もうちょっとだけ待ってほしいな♪
 可愛い君の事だから直に見つけてみせるからねっ!( ̄ー+ ̄)』





一体彼に何が起きたのだろうか。
悠梨は我が目を疑うことしか出来なかった。

何度か目をこすって瞬いても、その文章が変わる事はなく。
そしてスクロールしていくにつれパワーアップする、その乙女チックな文字たち。
文の終わりや合間に絵文字やら記号が多々と使用されている。


これは本当にあの瀬那の携帯からなのか。確認しても送信者は彼の名前で、アドレスも昼間に貰った彼のモノだ。
悠梨は驚愕したままその場で立ちつくし、今頃此方に向かっている彼の到着が恐ろしくて仕方なく思えた。

会いたいような、会いたくないような。
最早恐怖が一番に上まりだしたその時、





「おい」





肩をとんと触れられ、悠梨はその声の主に驚きと信じたくないという思いが込められた表情を向けてしまった。
それは言葉では表現しにくいもので、声の主の瀬那は制服姿のまま目を見開いて彼女を見返した。





「お前…。俺が来る前に何かあったのか?」


「あ、ありました!いえ、無いですっ」


「…どっちなんだよ」





訝しげに見つめてくる瀬那にどう話すべきかと躊躇っていると、彼の目には彼女が持つ携帯。





「誰かとメールでもしてたのか?」





彼のストレートな質問に、悠梨は一気に追い詰められ、そして。





「か、嘉山君からの、メールのお返事、がっ!!」


「あ?俺?」





瀬那は不思議に思いながら悠梨から携帯を借り、その画面に目を向ける。
すると、徐々に彼の表情は歪み、何かが切れる音と共に彼の額には太い青筋が浮かんでいた。





「あ、あの…嘉山君?」


「…あいつ等っ…!」





突然手首を掴まれた悠梨は、そのまま歩きだした瀬那に引きずられるまま早足で付いて行った。





「か、嘉山君!?あの、いきなり何処へ…」


「いいから黙って付いて来い」





見るからにして怒りオーラを放ちながら彼女を引きずって歩いていく瀬那は、しばらくして高い建物へと足を踏み入れた。
静かな入口を通り、エレベーターへと乗り込む。5階のランプが付き、扉が開くと、今度は賑やかな場所へと出た。

学校で見る優等生の姿のまま悠梨を引きずって通路を歩いていく2人の姿を、その場に居た人たちが驚いたまま見送っていく。


困惑状態の悠梨は、瀬那が今何処へ向かっているのか気になり、思い切って声をかけようとした。
すると、向の通路の一室にあるドアが開き、そこからベージュ色の髪を後ろの上部に結んだ青年が出てきた。

こちらの姿に気づいた彼はにこやかな笑みを浮かべて手を振り、





「あ、瀬那君。おかえりなさい。さっき烈火君と吹雪君がね――――――」


「その2人は何処だ?」


「え?あ、そこの会議室使ってるけど」


「分かった」





瀬那は一言二言だけ告げて教えられた部屋の前で足を止める。
そして悠梨に振り返ると、何故か彼女の体の向きを180度方向転換させ、さっきの青年の隣へと立たせた。

突然の彼の行動にきょとんしながら彼を見つめる2人。
瀬那は悠梨から青年へと目を向けると、





「ヨツ。少しの間でいいから、こいつの事頼む」


「え?」





ヨツと呼ばれた青年は目を点にしながら彼に問い返すも、瀬那はそれに応えないまま会議室へと足を踏み入れた。
パタンと静かに閉ざされたドア。しかし、





「ぎゃ――――!許してくれ瀬那!業とじゃねーんだ!」


「だから言ったじゃねーか!バカ吹雪ー!!」





2種類の声が会議室の中で反響する。それを驚いたまま耳にすれば、しばらくしてそこからは何事もなかったかのように
瀬那が相変わらずのまま出てきた。そして二人の元に来ると、彼は改めて悠梨を見詰めた。





「突然悪かったな。今お前の隣に居る人は俺達S.Bのマネージャーである吉妻陽太よしつま ようただ」


「はじめまして。君が瀬那君達が言ってた川崎悠梨さん?」


「は、はいっ」


「あっははー。瀬那君は実際優等生だけど、ギャップを見て驚いたでしょ?」


「は、はい…」


「ヨツ。タケと同じ質問しないでくれ。どうせこの後も聞かれるだろうし」


「それもそうだね」





陽太は苦笑交じりに瀬那の言葉に頷くと、そのまま続けた。





なぎさ君と燈弥とうや君はまだ来てないけど、先に二人に会うのかい?」


「あの煩い二人に先に会わせていた方が後が楽だ」


「あはは。成程ね」





悠梨は話が読めないまま二人を見ていると、不意に瀬那が彼女に目を向け「付いてきてくれ」と
先ほど出てきた部屋へと歩き出した。





「きっと最初はビックリさせちゃうかもしれないけど、悪い子たちは一人も居ないから安心してね」





陽太の囁きに安心した表情で頷き返した悠梨は早足で瀬那の横へと並んだ。
そのまま会議室のドアを開けると、瀬那は悠梨を背に中へと入って行った。

しっかりとドアが閉まったのを確認すると、彼は部屋に居る落ち込んだ二人の少年に目を向けた。





「おい。お前等が言った通り連れて来たぞ」





瀬那の落ち着いた声に、二人の少年は勢いよく顔を上げた。
一人は銀髪、一人は赤髪。

どちらの顔と姿を見ても、悠梨は目を大きく開くことしか出来なかった。
しかし――――――――――。





「ぎゃああああ!!お、女ァァァァァッ!?」





突如として大きな悲鳴に近い叫び声が部屋の中に響いた。

思わず耳を塞いでしまいたくなる程すさまじいそれに驚くも、目の前ではその悲鳴を上げた赤髪の少年が怯えた表情を浮かべ、
あちらこちらと走りまわり、一旦瀬那の前まで駆け寄ってくるが、何故か急に方向転換して銀髪の少年の背後へと隠れてしまった。


悠梨は突然起きた現状が理解できないまま呆然と目の先に居る少年2人を見つめる。
すると、銀髪の少年が苦笑交じりに悠梨へと目を向け、





「あっはは。驚かせちゃってごめんね。コイツ、ちょーっと女の子が苦手でさ」


「え?」


「ハッキリ言えば"女の子"というより"女性"そのものが苦手なんだ」





銀髪の彼の言葉に補足するように瀬那が彼女に説明する。
溜息まじりに腕を胸の前で組んだ瀬那は、未だ怯えて隠れている赤髪の彼に向って声をかけた。





「おい、烈火れっか。お前達が連れて来いって言ったから仕方なく連れて来たんだ。…提案者がいつまでも隠れててどうする」





若干呆れた声で赤髪の少年、烈火と呼ばれた彼を見つめる瀬那。
彼の声に恐る恐ると顔を覗かせてきた烈火だが、悠梨と目が合うと顔を引きつらせて瀬那を見詰めた。

まるで助けを求めるように。
だが、その表情は直に変化し、驚きへと変わった。





「え…。あれ、アンタって、もしかして…」


「…烈火。お前、川崎の事知ってるのか?」


「いや、知ってるっつーか…」






首をかしげて烈火に問いかける瀬那に、烈火も記憶をたどりながら説明しようと口を開く。
だが、彼が説明する前に、今まで大人しかった人物が歓喜を含んだ声を上げた。





「おおー!!君はもしや、あの時のヘルプ・ガール!!」


「……は?」





いきなりテンションを上げ、両手をバンザイの如く上げて満面の笑みを見せる銀髪の少年。

その発言と態度に意味が分からないと訝しげな表情を浮かべる瀬那と烈火だが、
彼は二人の態度に気に留めることなく驚いたままの悠梨へと駈け出した。





「また君と会えるなんてこれは最早運命としか言いようがないよジュテームっ!!」


「キショい」





両手を広げて勢いよく駆け寄ってくる彼に慌てる悠梨に、彼が抱きつく前にその額に水平チョップを喰らわす瀬那。

反動が一気に自分へと返ってきた彼は、床に転がりながら彼に当てられた額を抑えながら
ゴロゴロと痛みに耐えるように転がり出した。

その隣では烈火が呆れた顔で彼を見下ろしている。





「アイツは知っての通り、俺達S.Bのリーダー・吹雪ふぶきだ。烈火とは真逆で、女子が大好きな男だから気をつけろ」





冷静な態度のまま忠告する瀬那に、悠梨は落ち付く事がない胸を抑えながら頷く。
そんな彼女を横目に溜息を漏らすと、未だ床に転がったままの吹雪を改めて見つめた。





「…そういえば、お前は川崎と一度会ってたな、吹雪」


「えー?今頃思い出したのかよ、瀬那。普通一番最初だろ、それ!」





文句を言いながらも元気よく起き上がり、悠梨に向かってウィンクを飛ばす吹雪。
その行動にまたしても激しくなる鼓動を落ち着かせようと頑張る悠梨を一瞥し、瀬那は吹雪を睨んだ。





「お前…。一応ここは芸能事務所なんだぞ?一般人を入れて良いなんて事、無いに等しい場所にわざわざ危険を冒して
 連れて来たんだ。さっさと用を済ませろ。じゃないとコイツがいつまでたっても帰れない」


「はあ!?何、お前。もしかして俺達に会わせたら即座に彼女の事帰らせる気でいたのか?」


「…いくら社長が渚と長い付き合いで、なんとか許可をもらえても、その範囲は限られてるだろうが」





尤もな瀬那の意見に頷く烈火。
楽しみにしていた彼の正体を知った人物が女子だと知った途端、瀬那の味方へと立場を変えている。


この時、悠梨は改めて自分と彼等の世界が違う事を思い知らされた。
本来なら足を踏み入れてもいいような、そんな簡単な場所じゃない。

普段はテレビで隔たれた存在。
手が届きそうで届かない場所に居る彼等。そんな彼等の目の前に、今自分はいるのだ。

悠梨は本当にこの場に居て良いのか不安を抱いた。


そんな彼女の表情に気づいた吹雪は二人をムッとした顔で睨むと、そのまま悠梨の元まで歩いた。
突然目の前にやってきた吹雪に驚きを見せる悠梨に、吹雪は彼女の手を両手で包みこんだ。





「そんなに不安そうな顔しないで。芸能人だとか一般人だとか、そんなの関係ない。
 俺は俺、君は君。ただの男と、ただの女。同じ人間って事に変わりないんだ」


「…っ」





穏やかな瞳で見つめられ、悠梨の頬は紅潮していく。

揺れる瞳をじっと見つめ、ゆっくりとの彼女へと顔を近づけていく吹雪から目を逸らす事ができず、
抵抗も出来ないまま、ただ彼の瞳に吸い込まれるような感覚に浸ってしまっていた。


今にもキスしてしまいそうなまでに近づく二人の距離。
悠梨は焦りと困惑に混乱し、思わず目を瞑った。まさにその瞬間――――――。





「神聖な事務所内で何セクハラしてんだテメェは―――――――!!」


「へぼぉっ!!」





突如として音を立てて目の前から消えた吹雪に目を点にする悠梨。
何が起きたのかと辺りを見渡すと、背後から堂々と悠梨の前に一人の少年が現れた。





「いってて…。ったく、お前は本当に暴力的だな、渚!」


「馬鹿言うな!元々お前が犯罪的行為をしてるのが悪いだろ!!そんなんでリーダーがいつまでも勤まると思うなよ!?」





大きく、そして遠くまで響く声。
目の前できっちりと着こなした知らぬ制服に、茶髪の髪。

悠梨はその声を聞いた途端、更に目を開いた。
だが。





「それから、アンタ!」


「は、はいっ」


「このバカは可愛い女子なら誰にでも手を出す八方美人の尻軽男だ。無暗に近づくとマジで泣くことになるぞ!」


「おい、渚!俺はそんな無責任な男じゃねェ!それから、彼女に誤解を生ませるような発言をするな!」


「はあ!?常日頃から女子共に囲まれて生活をしている奴に言われたくないな。誤解されて当然じゃないか?」


「俺はカッコイイんだモテるんだ!だから女の子達が自分から寄って来てくれるんだよ、羨ましがるなっ!」


「誰が羨ましがるかっ、アホが!!」





自分に向けられていた矛先がいつの間にか吹雪へと変えられ、いつの間にか取り残されたようになっている悠梨。
そんな彼女の隣にやってきた瀬那は、本日何度目かの溜息を漏らしつつ、改めて彼女に目を向けた。





「S.Bに対してお前がどんな印象を抱いていたかは知らないが、これが素のあいつ等だ」


「は、はい…」


「今来たのが俺達のVCヴォーカリストの渚。声を聞いた時点で気付いただろ?」


「う、うん…」


「テレビではクールに大人しくしていようと心掛けてはいるが、吹雪がいつもアレだから結局無理に終わっている」





次々と目の当たりにしていく大好きなS.Bの素顔。
瀬那の変身ぶりにも驚きだというのに、彼らもまた個性豊かで驚きはとてもじゃないが多過ぎた。





「それから、こいつがギター担当の烈火だ」


「!?」





いつの間に近くに来ていたのか。今や烈火は瀬那の後ろに居て、彼越しに悠梨を見ている。
そんな彼の登場にまたもや驚く悠梨だが、しばらくお互い目を合わせていると、烈火がゆっくりと瀬那の隣に並んだ。





「さ、さっきは叫んでごめんな?俺がREKKAだ。よろしく」


「よ、よろしくお願いしますっ」


「と、ところでさ…。ケガ、とか大丈夫?」


「え?」





思いもよらない烈火の発言に首を傾げる悠梨。
瀬那も何の話しだと言いたげに烈火を横目で見ると、烈火は頬をポリポリかきながら続けた。





「ほら…。前さ、俺達ぶつかったじゃん?その時、もしかしてケガさせちゃったかと思って…」


「…ああ!」





その説明でやっと彼が言いたい事が分かった悠梨は直に「大丈夫です」と伝える。
それを聞いた烈火の表情は不安なものから、ふと柔らかいものへと変わった。





「烈火。お前も川崎と会った事があったのか?」


「お、おう。偶然にも住宅街の曲がり角で、こう…ドーン!と」


「…お約束な展開だな」





瀬那の言葉に苦笑する烈火と悠梨。





「その時はどうしたんだ?誰かの後ろにでも隠れたのか?」


「いや、それがさ!そんな時に限って誰もいねーの!だから逃げた」


「…逃げたって…」


「そういえば"く"とか"よ"とか…。あと"ち"とも言ってたような…」


「……"来るな・寄るな・近づくな"か」


「さすが瀬那!俺が言いたかった事をこうも一瞬で分かっちまうとわ!やっぱ俺の親友なだけはあるな!」


「まったく…。で、その後は?」


「確か…スンマセーンって言って走った」


「…川崎。コイツは女性という女性全員にこんなんだ。気にしたら終わりだ」


「は、はは…」





なんて言葉を返せばいいか分からず、苦笑を浮かべる悠梨。
和みつつある空間になってきた頃、再び乱入者は現れた。





「ご、ごめーん!やっぱり遅れちゃったよ」





勢いよく走って入ってきた小柄な黄緑色の髪をした少年。
息を荒げて顔を上げた彼と目が合った悠梨は、またもや驚きをみせた。





「あー!この前、学校案内してくれた先輩!?」


「き、君…確か国本君!……え、あれ?」





悠梨は燈弥を瞬きしながら見つめると、改めて部屋の中に居る存在を見渡した。

同じクラスで憧れの瀬那。
偶然にも曲がり角でぶつかった烈火。
危ない所を助けてくれた吹雪。
先ほど彼に対する注意をしてくれた渚。
そして、以前学校で出会った燈弥。

彼等の正体は勿論の事、悠梨が大ファンの【Sky Blue】。


悠梨は今自分がおかれているこの状態に、やっと今まで起こった出来事や状況が絡み合い、
この光景が信じられない、そして驚くべきものだと実感した。





「ええ――――――!?」





本当の運命の歯車は今ここで動き出した。
芸能人で有名アーティスト【S.B】という存在の彼等と、一般人である悠梨。

この巡り合わせが彼女のこれからの人生を一気に変えていくことになる――――――…。






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