360度を美男子に囲まれた現状。
それは今を騒がせる人気アーティスト【Sky Blueスカイブルー】のメンバー。

個性豊かな人材が揃う中、悠梨ゆうりは今の状態がどういう事なのかとハッキリと理解した時、
全身に緊張が一気に走り、先ほどまでひとまず安定していた心拍が急速に加速するのを感じた。





「いやー。それにしても君、可愛いね!こう、ギュッて思い切り抱きしめたくなる衝動に駆けられるよ」


「おい、吹雪ふぶき。今ここで犯罪を犯す気なら余所で、そして消息不明になってからしろ」


「うっわー。聞きました、烈火れっかさん。此方の奥さん、夫に逃げられたからって八当たりしてますのよ?」


「まぁ、なんて醜いんでしょう。流石は"サルの王国のキング"とだけ言われるだけはありますわね」





S.Bのリーダー務める吹雪の発言につっかかるように注意をするVCヴォーカリストなぎさ

そんな彼の発言をからかいに上手く利用し、火に油を注ぐ発言を多々とし、烈火をも参戦させる始末。
これには渚も言い返すことをやめないため、そんな三人を瀬那せなは呆れた目で見つめていた。


その隣では遅れてやってきた燈弥とうやが苦笑を浮かべながら悠梨へと目を向ける。

視線が合った彼女は以前一度だけ彼と会って話していながらも、やはり今の状態をしっかりと認識したせいか、
少しばかり緊張が解けないままでいる。


燈弥はそんな悠梨に穏やかな笑みを送った。
すると悠梨の強張っていた表情もやんわりと緩み、彼女らしい笑みを浮かべた。





「それにしても驚いたなー。まさか瀬那の正体を見破ったのがあの時の先輩だったなんて」


「俺も。笑顔をいつでも出来るようにと始めた特訓だったが、まさかこんなに早く素を露わにするとは思わなかったぜ」


「ははっ。なになに?瀬那って、もしかして少し悔しがってる?」





珍しく燈弥が瀬那をからかうような口調で問うと、彼はひっそりと溜息を漏らして苦笑した。





「予想だと一年と言うよりは卒業まで持つと思っていたんだがな」


「そうだね。普段の瀬那なら余裕だろうねー。でも、何でこんなに早かったんだっけ?」


「……烈火との電話しているところを聞かれて見られたんだよ」





「コイツに」と肩を落としながら親指で隣に立つ悠梨を指す瀬那。
悠梨はどう反応すればいいのか分からず複雑な笑みを返すだけ。

燈弥はそんな彼女の内心を悟ったように同じような笑みを浮かべた。





「まあ、詳しく言えば"見破られた"というより"偶然見られてしまった"だがな」


「あ、烈火。渚弄りは終わったの?」


「飽きた。だから吹雪に押し付けてきた」


「……お前な」





あれほど悠梨にビクビクしていた烈火だが、大分いつもの調子を取り戻してきたようで、会った当初よりは幾分か顔色が良い。
だがご丁寧にも悠梨には極力近づかないようにしているため、瀬那の隣をキープはしているが、彼女とは反対の位置に居る。

女性恐怖症を持つ彼の事を理解してはいるが、やはりいつ見てもこの態度はどうしようもない。
瀬那は自ら悠梨に近づこうともしない烈火を一瞥すると、未だ騒いでいる吹雪と渚へと目を向けた。





「おい、吹雪。もう用は済んだろ?そろそろ川崎の事返す」





「返すぞ」と言いたかった瀬那だが、全てを言い終える前に俊足でやってきた吹雪によってその口は大きな掌で塞がれた。





「まだダメ!」


「…ふぁんへ?」


「"何で?"と聞いている」


「だってまだ俺、彼女と満足に話してないんだぞ!だからダメ!」


「ふぉへふぁおまへのわはまふぁふぁふぉーが」


「"それはお前の我儘だろーが"と言っている」


「そう、我儘。それは分かってるけど話したい。だから帰らせない。これOK?」


「NOー!!」





吹雪の発言に口を塞がれたまま問う瀬那。そして通訳する烈火。
三人のやりとりが続いている間、今まで黙っていた渚が突然それに乱入し、吹雪の問いを全否定した。

それに目を怪しく光らせ睨みつける吹雪に対し、怯むことのない渚は更に続けた。





「馬鹿か、お前は!否、バカなのは百も承知!でも、だからこそ俺は言うぞ!
 彼女はこの事務所と関係ない!芸能人でも無いし俺達の知り合いでも無い!」


「否、一応瀬那のクラスメイトだけど」





烈火の落ち着いたツッコミが渚の言葉を一瞬詰まらせる。





「っ、だが一般人に変わりはないだろ。本来関係者以外立ち入り禁止な場所に入れてやってんだ。長時間いる必要がどこにある?」


「俺と話すためにある!」


「アホかっっ!!」





渚が何処からか取り出したのか分からいティッシュ箱を吹雪目がけて投げ飛ばす。
しかし、それをあっさりとかわした吹雪はフフンと鼻で笑いながら渚を再び怪しい瞳で見据えた。





「渚ー。お前もうちっと柔軟性持てよ。悠梨ちゃんは俺達のファンなんだぜ?ファンは大事にすべきだ、優しくすべきだ」


「俺には女好きの発言にしか聞こえん」


「だいたい、ここは本部でもないワケだし、ンな警戒する必要は無ぇだろ。社長からだってちゃんと許可貰ってるワケだし」


「俺が土下座ギリギリな行いで頼んだからな」


「それにこんなに可愛い女の子に冷たい態度をとる奴の考えが知れねぇな。こういう時はハグ・キス・抱擁といったスキンシップを」


「実際の行動で起こしたらこの瞬間にお前の目玉めがけてチョップを食い込ませるぞ、吹雪」





アウトラインギリギリの発言が出てきた所で渚の怒鳴りよりも早く瀬那の爽やかスマイルな発言が通る。

それに格好付けて話していた吹雪は一気に顔を青ざめ、冷や汗をタラタラと流しながら、
北風が吹いたような凍りついたこの場を和ませるべく、業とらしい咳払いをした。





「と、とにかく。俺はもう少し悠梨ちゃんと話がしたい。これはリーダー命令だ!却下は許さん!」


「うわー。コイツ一丁前に権力使用しましたよ、瀬那さん。どうするよ」


「一度言いだしたらなかなかやめないからな、吹雪は。……あと少しだけだぞ。この後レコーディング入ってるんだからな」


「おう!サンキュー、瀬那!」


「…ったく。お前も吹雪コイツに甘すぎるぞ、嘉山かやま。もっとビシビシ厳しくするくらいがちょうどいいだろ」





眉間にしわを寄せて喜ぶ吹雪を横目に、瀬那に一言漏らす渚。
そんな彼に一息零した瀬那は「分かってる」と静かに告げた。

少々緊迫した雰囲気になりつつあったこの場で、悠梨は一人その雰囲気に馴染めずにいた。

やはり渚の言うとおり、直にでもこの場を去った方が良いのではないか。
迷惑になっているのではないか。そんな考えばかりが頭をよぎる。


しかし、そんな考えを何処かへ放り投げるかのように、燈弥は唐突な質問を投げかけてきた。





「ねえ、さっきから気になってたんだけどさ」


「ア?なんだよ、燈弥」





若干ピリピリしていたオーラがふわりと和らぐ。
メンバーの視線が燈弥に集中すると、彼はそのまま続けた。





「吹雪さ、いつの間に先輩の事名前で呼ぶようになったの?というか、もうそんなに仲良くなったワケ?」





燈弥の予想外な質問に、その場は一瞬白と化す。
だが誰よりも先に現実へと戻ってきた吹雪は、燈弥のその質問にフフンと笑みを浮かべてハッキリと告げた。





「ンなの決まってるだろ!俺と悠梨ちゃんは、あの時の出会いから既に仲良しこよし!既にカップルも同然!」


「じゃあ、あの時の答えは嘘だったワケだな?」





再びその場がフリーズする。
ガチガチと凍ったように顔の向きを声のした方へと向ければ、そこには満面の笑みを浮かべた瀬那が居た。

瞬間、吹雪は大慌てでそれを否定し始める。





「ち、ちちち違うぞ!あの時言った事はホント、マジホント!それは悠梨ちゃんが証明だって!!」


「…ほお」


「いや、ちょ、マジだって!ホントに手は出してない!出しかけたけど出してない!」


「出しかけたのか」


「いや、ちょっ、マジ待って!俺の話聞いて、瀬那ちゃんっ」





冷や汗をダラダラに流して背後から真っ黒オーラを放っている瀬那に制止をかける吹雪。
だが瀬那は笑ったまま右手の指を左手でバキボキならして彼にゆっくりと近づいていく。

あまりの恐怖に涙目になりつつある吹雪は、素早く渚の後ろに避難して肩越しで瀬那に制止するよう頼む。
渚は渚で迷惑そうに吹雪を後ろから出そうとするが、突如背中から抱きつかれ、彼の怒りは最高潮へ。


そのまま渚の怒り任せに前へとだされた吹雪は、今度は悠梨の背後に避難した。
思わず心臓を高鳴らせて、自分の肩に置かれている吹雪の手を意識してしまう悠梨。

僅かに頬を赤らめ俯く彼女に気づいた瀬那は、溜息まじりにいつもの態度に戻った。





「ったく。お前は俺達のリーダーなんだから、もう少し己の行動に注意しろ。
 セクハラ容疑で訴えられました、なんて記事は御免だからな」


「分かってるって!さすがにそこまではしねーよ。………多分」





最後の一言は誰にも聞こえない様に呟いたはずの吹雪だが、向から指が鳴る音が聞え、慌てて否定の意味を込めて首を振る。
それににっこりと笑って見せた瀬那に、彼は瀬那の隠れた黒さを改めて思い知らされた。

それは密かに悠梨にも伝わっていて。彼女もまた、彼がたまに見せる圧力の正体を知った瞬間だった。





「区切りがいいみたいだから聞くが…。おい、嘉山。そのこ彼女は誰だ?俺は詳しく聞いてないぞ」


「そっか。渚はこのメンバーで唯一ノリ気じゃなかったもんな。話聞いてねーのも無理ねぇか」


「お前等が渚と同じ態度だったらどれだけ良かったか」





一人頷く烈火に、瀬那の重たい溜息が重なる。
それに笑った吹雪は、渚に悠梨の事を代表で紹介した。





「彼女は川崎悠梨ちゃん!瀬那の猫かぶりを唯一知ってる女の子だ!」


「あ?何だ、やっぱり一年も経たずにバレたのか、嘉山」


「…何だか少し嬉しそうだね、渚」


「そりゃあ、いつも瀬那をライバル視してるからな。心が歪んでるんだぜ、きっと」


「…聞えてんぞッ」





ヒソヒソ話を始めた燈弥と烈火を一喝して睨みつける渚。

それを笑ったまま放って話を続ける吹雪に「空気読め!」と更なる一喝をする渚に、
吹雪は瀬那がよくするチョップ(垂直ver.)を彼の脳天にお見舞いしてみせた。


逆鱗に触れて騒ぐ渚達。
瀬那は一人疲れた顔をしながらチラリと悠梨を見詰めた。

彼女は彼女でこの場で起こる数々の出来ごとに驚きながらも楽しそうにそれを目の当たりにしているようで、
瀬那の少し冷めた表情が僅かに和らいだ気がした。





「でな、悠梨ちゃんは瀬那の隣の席で、S.Bの中でもASUKAが一番好きなんだとよ!!」


「何悔しそうな顔してんだ、お前」


「当たり前だろ!また瀬那に…っ。俺の周りに居る女の子達は皆ASUKAばっかりで…っ、クッ」


「そりゃお前が誰彼構わず女の子なら話しかけるからじゃね?」


「逆に烈火は話しかけないからクールな印象でも見られてるだってね」


「あ、マジ?それは初耳」





各々が好き勝手話始め、悠梨はこの光景が以前見た番組の彼等と重なり、気分が明るくなった。
これを見るに彼等は己を隠さずテレビに映っている。普段の彼等のままの姿なのだと。

それを知れて彼女の表情から緊張は最初に比べて格段に和らいでいた。


そんな時、ふと渚の表情が真剣なものへと変わる。
その異変に気づいた瀬那は、今まで閉ざしていた口を彼に向けて開いた。





「どうかしたのか、渚」


「あ、いや。なんつーか…」


「何だぁ?――――まさか、悠梨ちゃんの3サイズを気にして…っ!?」


「テメェと一緒にすんな変態吹雪!ンなんじゃなくて、その"川崎"って苗字…何処かで…」





普段あまりここまで難しい顔をしない渚のこの変わりように、メンバーは皆して目を配る。
誰もが首を傾げてお互い顔を見合せていると、渚の表情がふと僅かに曇った。

そして俯きかけていた顔を上げると、彼はその視線を悠梨へと向けた。





「なあ、アンタ」


「は、はい」





先ほどに比べ、一気に雰囲気が変わる。
渚の表情からして良い事ではないと察したメンバーは、渚がきちんと話すまで誰も口を開こうとはしない。

そんな緊張からか。悠梨もまた、渚の話をきくため、最低限の相槌しか打たないようにした。





「苗字、川崎なんだよな?…変なこと聞くけど、アンタの母親、芸能事務所の社長やってたりとか、するか?」


「え…」





彼の突然の質問に、悠梨も驚く。
今まで明るい雰囲気だったその場は、いつしか気付けばその温度差は格段に下がっていた。





「芸能事務所の社長?いきなり何言い出すんだよ、渚」


「そうだよ。もしそうだったらちょっと危ない?問題ある、の?やっぱり…」





僅かに動揺を見せる吹雪と燈弥。
言葉を濁しながら瀬那へと質問を渡した燈弥に、瀬那は考えるフリをした。





「まあ、問題が無いとは言い切れないが…。川崎自身に"そういった"考えがなければ、別に問題ないんじゃないか?」





瀬那の遠まわしな言い方に悠梨の肩が僅かに揺れる。
静かに隣へと目を向ければ、彼の冷たい視線が自分に向けられている事を知った。

今まではクラスメイトとして見られていた"悪"のない視線。
しかし今の彼の視線は、まるで敵か味方かを判断する鋭いものだった。


よく見れば彼の隣に居る烈火と渚の視線を瀬那のそれと似ている。
反対に吹雪と燈弥を見れば、二人は不安定な光を浮かべて彼女を見つめていた。






「…違ったなら謝る。変な事を聞いて悪かったな。俺の思い違いだ」


「あ…」





渚が苦笑しながら重たい雰囲気を拭うように話題を逸らそうとする。

だが、悠梨の母は実際に芸能事務所の社長だ。嘘ではない。
しかし、もしここで彼等に「はい、そうです」と言ってしまったらこの関係はどうなる。


折角憧れの瀬那とも前に比べて話せる関係になってきつつあったのが全て無になってしまう。
悠梨はそんな気がしてならなかった。

そして、このS.Bという存在にさえも自分の存在を否定されるんじゃなかと、恐怖さえも覚えた。


そんな心境のまま何も言いだせないでいると、吹雪が渚に待ったをかけた。
それに目を向けると、先ほどと比べ物にならない真剣な表情をした吹雪がそこには居た。





「なあ、渚。俺ずっと疑問に思ってたんだが」


「…何だ」


「お前、S.Bがデビューする前から俺達に内緒で"何か"調べてたろ。…何を調べてた?」





吹雪の鋭い問いかけに渚本人とその他のメンバーの表情が強張る。
渚はメンバーをそれぞれを見渡し、最後に悠梨を一瞥すると、諦めたのか、渋々話し始めた。





「…お前等は知ってるだろ?昔、俺の父さんが【acceleアクセル】っていうバンドのVCだったって事」


「ああ。そりゃあ、あんだけ有名だったからな。この業界で知らない奴なんて居ねーんじゃねェの?」





渚の問いかけに頷くメンバー。
【accell】とは烈火が言った通り、とても有名なバンドだった。

日本だけでなく、世界中で人気を誇った彼等は誰しもが認める存在だった。


渚の父・蘇芳すおうはその元VCで、引退後は若きアーティストを育てるべく、音楽会社を経営し社長を務める。
元【accele】と言う事で注目を集め、実際にその事務所に所属していたアーティストは次々と有名になっていく。

何処の事務所よりも目立ち、そして期待されていたが、ある日事件が起こった。





「突然だった。父さんの会社は、前触れもなく潰れた」


「!?」





渚の一言にメンバーは衝撃を覚えた。

その時の事は勿論の事ニュースでも取り上げられたが、何故潰れてしまったのか。
その理由は明確に発表されてはいなかった。


誰もが気になって仕方なかった事実は、彼の父の友人すらも知らないという。
記者たちはその事実を明確にしようと動いたが、結局真相は闇の中へと消えて行った。

だが、渚だけは違った。
彼は尊敬する実父の身に起きたそれに"何か"が隠されていると思えてならず、一人で調べていた。


そしてある日、真実に僅かに近づく話しを入手した。
それが―――――――。





「川崎という【Pectil】芸能事務所の社長が、父さんの会社を潰したって…」





渚が呟いた一言。それは悠梨すら知らない話だった。
その言葉にS.Bの視線が一気に彼女へと向けられる。

驚き、それが一番大きかった。


誰もが予想すらしなかったその話しに、メンバーよりも悠梨自身が動揺する。





「う、そ…」





信じられない。その一言が彼女の脳を揺さぶる。

静かに震える手で口元を覆い、よろよろと後退していく。
背中に冷たい壁が当たった感覚を覚えると、彼女はそのまま震える足をなんとか立たせて渚を見詰めた。





「それ…本当、なんです、か…?」


「…父さんの友人―――――社長がそう話してるのをこの耳で聞いた」


「――――!」





今度こそ、悠梨はその場に崩れた。
冷たい床に座り込んでしまった彼女の目はショックで大きく揺れている。





「そ、んな…。お母さんが、そんな事…」


「…悠梨ちゃんのお母さんって、マジでそこの社長なの?」


「…っ」





未だ隠せない動揺を浮かべながらの吹雪の問いかけに、悠梨は口を紡ぐ。
それを肯定だと手に取る様に悟った瀬那は、僅かに彼女へと体の向きを変えた。





「お前は何も知らされていないのか?」


「…知らない…、聞いた事もなかった…」





「でもっ」悠梨は握りこぶしを作ってギュッと力を入れると、彼等に向かって強い視線を送った。





「でも、お母さんがそんな事するなんて思えない!そんな人じゃないもの…っ」


「それはあくまでお前の考えだ。俺達のものじゃない」


「っ」





瀬那の冷たい一言に悠梨は言葉を飲み込む。
今まで見てきた彼は、自分が知ってる瀬那は、今や此処には居ない。

鋭くも冷たい視線は、間違いなく自分へと向けられている。


悠梨は感情のこもらない瞳で自分を見つめる瀬那を反抗するように睨んだ。





「…私、確かめてきます。お母さんがそんな事、本当にするなんて思えないもの」





座り込んでいた体制から立ち上がり、ドアの傍に置いていた鞄を持ってドアへと手を伸ばす。
途端、そのドアはいきなり開き、見事に悠梨の顔面に直撃した。

ガン!と素晴らしいくらい痛々しい音が部屋に響、重たかった雰囲気が何処かへと吹き飛ぶ。
カチャリと小さな音を立てて開いたそこからは、この部屋に入る前に会ったマネージャーの陽太ようたが居た。





「あ、あれ?今ものすごい音がしたけど、何か当てちゃった?」


「いやっ、当ててるだろ!今ものすっげー音しただろ!!」


「ヨツー!先輩の顔面にドア当てちゃったんだよ!早く冷やさないと!」


「え?先輩?」





陽太が呆然とするメンバーの視線を辿ると、そこには顔面を抑え、座り込んでいる悠梨の姿。
それを目にすると、陽太は慌てて濡れたタオルを持って彼女へと差し出した。

お礼を言いつつそれを顔に当てると、悠梨はスクッと立ち上がり





「一週間以内に絶対に真実を突き止めてみせます!」





それだけ言うと、悠梨は陽太から借りたタオルを丁寧に返し、駆け足でそこから出て行った。





「…なんか、意外と図太いね、彼女」


「あんなに泣きそうな顔してたのに…」





吹雪と燈弥が意外と言いたげに彼女が去ったドアを見つめて呟く。
烈火と渚も少し驚いたままその場に立っていたが、瀬那だけは相変わらず難しい顔を浮かべたままだった。








































「はぁー…」





翌日の朝、悠梨は重たい溜息を吐きながら登校していた。

あの後、悠梨は母が経営るす事務所に向かったが、母は会社には居らず外出していた。
いつ戻るかも未定だったため、悠梨はひとまず家に返り、その後母の携帯に電話をかけたが通じず仕舞い。


結局は何も分からずその日を終えてしまった。





「あんなに啖呵切ってきちゃったけど…」





この状態じゃ瀬那に顔合わせが出来ない。
それよりも、彼が今までと同じように接してくれるかさえも分からないのだ。


今まで遠くの存在だと思っていた瀬那。
しかし、悠梨にとっては偶然にも嬉しいきっかけが起きた。それが、彼の正体を知るきっかけ。

大好きで、いつも応援していたS.BのASUKA。
憧れていつも見ていた嘉山瀬那。

自分にとって大きな影響を与えていた存在が、ほんの少しでも身近に感じることができた。
やっと話せるようになった。それなのに……。





「おーい!悠梨ー!」


「…!」





冴えない顔をしていた悠梨の元に、明るく元気な声が届いた。
振り返れば、そこには政史まさしが元気よく手を振って此方へと駆け寄ってくる姿が。





「おっす!今日もいい天気だな!こんな日は屋上で弁当食うと上手いぜ?」


「…!」





ニカッと笑う彼の言葉に、悠梨の脳には屋上で瀬那と過ごした光景が浮かび上がる。

あの時初めて見た、本当の彼の姿。
いつも見せる穏やかな笑みは実は仮面で、本当の彼はクールで少し意地悪。

けれども、本当は優しい、少しだけ不器用な人。


思い出せば自然と涙腺が緩み、涙が流れそうになる。
悠梨は泣いてはいけないと必死に自分に言い聞かせ、誤魔化すように政史の話に乗った。





「そうだね。屋上って温かくて、ぽかぽかしてるもんね」


「そうそう!なあ、また一緒に食わねぇ?今度は俺達二人だけでさ」


「え?」





首をかしげて問うと、政史は眉間にしわを寄せて続ける。





「この前はあの嘉山に邪魔されたからな。…アイツ、まるで俺を知ったような口でベラベラと」





どうやら政史はあの時の事を根に持っているらしい。
屋上で瀬那に言われた事は事実。そのため余計に腹を立てているようだ。





「お前もあんな奴やめて、もっと他の男に目を向けろよ」


「え?」


「アイツ、いっつもあんなにニコニコ笑ってるけどさ、実はスンゲー黒い奴だったりしてな」





なかなか的確なポイントをついて話してくる政史に、一瞬悠梨に焦りが生じる。
だが、それを政史は気付いておらず、そのまま瀬那の本性はきっと…なんていう予想を次々と出していく。

悠梨はそんな彼に苦笑しながら少し長い坂道を登った。
その足取りは相変わらず重たいままだった。



ガラリと教室のドアを開ければ賑やかな声が迎えてくれる。

学校まで政史と登校した悠梨は、勇気を出してそのドアを開けた。
だが、自分の席へと目を向ければ、その隣は空席のまま。


悠梨はほっと安堵を漏らすと、そのまま静かに自分の席へと座った。
再び左隣を見れば、やはりそこの主の瀬那は居ない。

彼に会わなくて安心している自分と、寂しいと思っている自分が居る。


この矛盾した感情は何なのかと苦笑を浮かべていると、あやのと茜が声をかけてきてた。
それからいつものように話を弾ませる悠梨だが、内心には動揺と焦りがある。

少しでも早く母に連絡を付けて真実を聞かなければ。

悠梨はあやのと茜の声を耳にしながら、膝の上で握りこぶしを静かに作った。




















「本当に行かないのか?瀬那」





同時刻。ブラウザー事務所の一室にはS.Bが全員揃って座っていた。
若干重たい空気は残るも、その中で烈火は変わらない態度で瀬那へと話しかける。





「別に…。元々今日は次の曲に向けての会議だから、学校には予め連絡を入れていた」


「瀬那らしーな」





ふと微笑した烈火は瀬那を見つめる目を僅かに細める。
そのまま右手を彼へと伸ばすと、人差し指で彼の頬をプスッと突いた。





「…何だよ」


「気にしてるんなら見に行けば良いじゃん」


「何も気にしてない」


「はいはい。嘘が下手ですね、瀬那君はー」





クスクスと笑う烈火に、頭を撫でられながらムッとする瀬那。
その視線は彼から机へと逸らされ、今の表情はどこか不貞腐れた子供の様にも見える。





「珍しく冷たい態度とったな」


「……」


「あの子の事、信用できねェの?」


「―――――…」





沈黙を守る瀬那に、烈火はただその青い髪を撫で続ける。
普段なら滅多に見ることのない宥められている瀬那の姿に、渚は顔を引きつらせてその光景を目にしていた。

そんな渚の視線に気づく様子もない瀬那はひっそりと息を吐き、烈火を横目で見つめる。
しばらくそのまま無言で居た彼だが、不意に小さく声を漏らした。





「…アイツ、学校ではバカが付くほどお人よしなんだよ」


「あの、川崎さんって子?」





瀬那は黙ったまま頷く。
視線は烈火からいつの間にか窓の外に映る空へと向けられており、他のメンバーは二人の話しを黙ったまま聞いていた。





「猫被ってた時は話しかける度に挙動不審になって、見てて割と面白かったんだが…。
 たまに遠くから見かけると、アイツ…いつも他人のために動いてるように見えるんだ」





瀬那は脳裏に今まで見てきた彼女の事を思い出していた。

ただのクラスメイト。
隣の席で、からかうといちいち反応を見せる素直で少し面白い女子。

そう思っていた。
だが。





「…よく、分かんねェ」





遠くを見つめたまま囁かれた瀬那の言葉は、まるでその場に溶けるようにして消えた。
メンバーはただ静かにその話を聞いていたが、烈火だけはそれに反応を見せた。





「なんだかさ、」





烈火へと視線を向ける、瀬那。
赤い髪が陽の光に反射して眩しく見える光景で、その持ち主は柔らかな瞳で彼を見つめ返した。





「川崎さんって……瀬那に似てるな」


「……は?」





予想外の返答。
瀬那は珍しく間の抜けた声を漏らした。

それに楽しそうに笑う烈火。
すると今まで黙っていた吹雪もまた同意の声を告げてきた。





「俺も同感。なんかさ、お前の話聞いてるとそう思えてならねーや」


「…俺には、分からない」


「…だろうな」





吹雪の言葉に瀬那は首を傾げる。
そんな彼を苦笑しながら見つめると、吹雪は烈火に似た柔らかな眼差しで彼を見据えた。





「だってお前、自分の事にはとりわけ鈍いもんな」


「……どうせ鈍感だよ」





今度こそ完全に目を閉ざし、笑う二人を視界から遮断した瀬那はそっぽを向く。

だが、耳からはメンバーの笑い声は確かに届き、瀬那は無性に恥ずかしさを覚え、
その場を誤魔化すかのように今日集まった本来の目的を達成するべく、話し合いを半ば強引に始めたのだった。








































あれから3日が過ぎた。

瀬那達と不穏な空気のまま話別れてからというもの、彼は学校へ現れない。
悠梨は複雑な心境のまま学校生活を送っていた。

そして母・夏苗なつえともまた連絡はつかないまま。


さすがに不安が大きく、重たくのしかかってくる感覚さえ覚え始めた悠梨は、
この日、体育の授業を休み、保健室で休んでいた。

しばらく眠れない夜が続いたため、体にも負担がかかっていたようだ。
保健の先生からは寝ているよう言われ、ベッドに入った途端、悠梨は眠りへと落ちた。


柔らかな日差しが窓から差し込む。
少し開けられた窓の隙間から涼しい風が入り、眠る彼女の肌を撫でていく。





「失礼します」





そこへ誰かが保健室のドアを開け、入ってきた。
部屋からの返答はない。

誰も居ないのか、と首を傾げながら入ってきた人物はカーテンが閉まったそこを静かに覗いた。





「悠梨…!」





僅かに声を漏らした彼・政史は慌てて口を閉ざすと、起きる様子のない彼女に安堵を漏らした。

なるべく音をたてないようにカーテンを開け、彼女に近づく。
落ち着いた寝息をたてる悠梨を目を細めて見つめると、ゆっくりとその手を伸ばし、彼女の髪に触れた。





「悠梨…」





その手の動きは優しい。
細められた瞳にもその色がしっかりと浮かんでいて、全身から彼女を想う気持ちが浮き出ていた。

まるで慈しむように彼女の髪を撫でて、そのままベッドに腰かけると、政史は彼女をじっと見つめた。
柔らかな頬を撫で、髪を掬い、その姿を焼きつけるように見つめ続ける。


また窓から風が入り込んで、そのカーテンを揺らす。
その動きに合わせるように彼の身体が徐々に前かがみになっていくと、悠梨の髪に彼の前髪が触れた。





「悠梨――――――…」





政史の影が悠梨に静かに被さっていく。
彼女の淡い桃色の唇から小さな吐息が漏れると、政史は息を一瞬飲み込み、その眼を閉じた。





「…何をしてるんだ?」


「―――――ッ」





だが、突如背中にかかった声に、彼は勢いよく体を戻す。
直様振り返れば、開けられたままのドアに背を預け、此方を見詰めている瀬那が腕を組んで立っていた。

政史は驚きを浮かべた後、直に彼を睨みつける。
すると瀬那は彼とは逆に普段学校で浮かべる笑みをその場で向けた。





「ああ、この前の…。確か長谷川君、だったよね?怪我でもしたの?今授業中だけど」


「…そういうお前こそ、何でここに居るんだよ。優等生様のクセにサボリか?」





まるで挑発するような政史の言葉に、瀬那は相変わらずの笑顔のまま微笑する。
それが余計に癇に障ったのか、政史は鋭く彼を睨みつけた。





「前々から思ってたんだ…。お前のその笑顔、見ててすっげームカツクんだよ。ヤメロ、うぜェ」


「そんな事を言われたのは初めてだよ。君には気に入らなかったのかな」


「それからその業とらしい言い方もヤメロ。…お前のその一つ一つが偽物に見えてなれねェ」


「へぇ…」





瀬那は不敵に口元を歪めて笑う。
政史は眼鏡越しに映る彼の深海色の瞳を鋭く見据え、やがて彼もまた同じように口元を歪めてみせた。





「お前、今まで何人の女子を切り捨てて来たんだ?」





ふと話し出した政史の発言に、瀬那は僅かに眉間にしわを寄せる。





「優等生様は誰彼構わず優しくして愛想を振りまきやがる。だから簡単にその辺の女子はなびきやがるんだ」


「…何が言いたい?」





瀬那は僅かに目を細めて政史を見据える。
すると政史は瀬那の表情が歪んだ事に不気味に笑みを浮かべた。





「お前は偽善者だ。好きでも無い奴に好感を持たせ、惚れさせたら直に捨てる。最低な奴だよ!」





政史は不敵に笑うとその表情を一変させ、そのまま瀬那に掴みかかった。
ダンッと勢いよく壁に彼を抑え込み、胸倉を掴んで睨みつける。

一瞬顔を歪めて咳き込んだ瀬那だが、直に平常心を取り戻し、自分を睨んでくる政史を冷たい目で見据えた。





「ククク…。それがお前の素顔なんだろ?いつもヘラヘラしてるのは業と何だろ!?」


「さぁ、どうかな。君の予想は、まるで今の僕を否定しているようだね」


「実際そうだろ!?お前は笑顔だけの仮面をかぶった偽善者だ!偽りの感情で悠梨に近づきやがって!目障りなんだよ!!」





掴んでいた手にさらに力を込めた政史は、そのまま瀬那を力の限り壁へと追い込む。
「…っ」と言葉を詰まらせた瀬那は、彼がかける圧迫感にニヒルな笑みを浮かべた。

政史は瀬那のその笑みに歯を食いしばる。

まだ余裕を見せるのかと悔しさを込めてどんどん彼の胸倉を上へと掴み上げるが、不意に廊下から声が聞えてきたので
政史は掴んでいた瀬那のブラウスを乱暴に振り放した。

同時に開けられたままのドアからひょっこりと女教師が顔を覗かせる。
不思議そうに二人を見てくる彼女に対し、瀬那はにこりと笑みを浮かべその場を誤魔化すように彼女に話しかけた。


業とらしく、そして余計な御世話だと言わんばかりに小さく舌打ちをした政史は無言で二人の横を通りすぎて出て行った。


その場に穏やかな時間が戻ってくる。
瀬那は疲れたと顔に思い切り浮かべて溜息をつきながらブラウスの皺を伸ばすと、その隣からクスリと笑い声が聞こえた。





「…何笑ってるんです?河井先生」


「アナタは時に不器用ですね。あの子の声が廊下まで聞こえてましたよ」


「…聞いてたの、先生だけ?」


「ええ。ラッキーでしたね、瀬那君」





女教師・河井という保健室の先生は年齢からして50後半ほど。
のんびりとした性格で、おっとりしているため、保健室にピッタリな雰囲気を持っている。

口調も穏やかなため、生徒からも馴染みやすいと評判なのだ。


そして何よりも、彼女は瀬那の本性を知っている。
たまにこうして保健室に休みに来る彼のために、常に一番奥のベッドは出来るだけ空けておいてくれるのだ。





「それにしても珍しいですね。アナタが誰かと喧嘩するなんて」


「別に。向こうがいきなり突っかかってきたんですよ。俺がそんな面倒なこと、自分からやると思います?」





意地悪な笑みを浮かべて河井に視線を送る瀬那に対し、彼女は柔らかく笑う。
それを苦笑交じりに見つめれば、瀬那は緩んでしまったネクタイをしっかりと結び直した。





「今日はどうする?少し眠っていく?」


「そうしたいのは山々なんだけど、先客が居てね」


「先客…?」





河井は瀬那の言葉を聞き、常にキープしているその一番奥のベッドに近づく。
僅かに隙間が開いていたカーテンを開くと、そこには安らかに眠る悠梨の姿。

河井は小さく笑うと、そのカーテンを静かに閉め、瀬那へと向きなおり





「可愛らしいお客さんね。初めて来る子だわ。この子、瀬那君のお友達?」


「…友達、か…。なんとも言えないな」


「あら。違うの?てっきりそうだと思ったんだけど」


「…どうして?」





彼女の発言に少しばかり驚く瀬那を横目に、彼女は再び悠梨へと視線を向けた。





「だって、さっきの喧嘩…この子が原因なんじゃないの?」


「!?」





これには流石の瀬那も目を大きく開いて河井を見ることしか出来なかった。
そんな彼の珍しい表情に楽しそうに笑う彼女は、悠梨の元から離れ、冷蔵庫から二本の缶を取り出した。

どちらも緑色の缶で、『リラックス茶』と記されている。


そのうちの一本を彼へ手渡すと、瀬那はお礼を言ってさっそくプルタブを開けた。





「先生って相変わらず分かんない人ッスね。鋭いのか鈍いのか分かんねェ」


「あらあら。それはお互い様じゃないかしら。アナタは他人の事には敏感なのに、自分の事には鈍いんだもの」


「先生もそうなの?」


「周りからはそう言われるわ。今日も言われてきたばかりだし」


「…ああ、そう」





半ば投げやりな返事をしてお茶を飲む瀬那は、一息つくと後ろで眠る悠梨へと目を向けた。
河井もそれに習って彼の背中越しに眠る彼女のベッドの方へと視線を送る。

再び静かにお茶を飲むと、瀬那は溜息と一緒に言葉を漏らした。





「なぁ、先生」


「ん?」


「……俺って、酷い人間?誰彼構わず愛想よく振る舞うのって、やっぱり酷なのかな」





視線を床に向けてポツリポツリと話す彼を河井は静かに見つめる。
聞こえてくるのは窓から入ってくる風の音と校庭で体育をやっている同じクラスの生徒達の声。

そして小さく聞こえる悠梨の寝息。
瀬那は両手で缶に触れながら少しずつ先ほど政史と話した内容を彼女に話し出した。






「俺、さっき初めて"偽善者"なんて言われた。正直、驚き過ぎて何も言い返せなかった」






今まではこれが"当たり前"だった。

最初は笑顔の特訓という理由ではじめた行いだったけれど、気がつけば周りは"笑顔の仮面"を被った自分を
本物の嘉山瀬那だと思いこみ、それこそが本物なんだと認識して接するようになっていた。


それでも別に良かった。何故なら、これはただの練習。
これが本当の自分だと思われて、本当の自分が別にあるなんて知られなくても構わない。
すっとそう思っていたから。

けれど。





「さっきアイツに"偽善者"とか"最低な奴"とか言われて、初めて気付かされたことがあるんだ」





学校で在り続ける、偽りの自分。
仲間の元で在り続ける、本当の自分。

お互いが交差して不安定になっていく、本心。


今浮かべている笑顔は本物なのか、それとも、偽物なのか。
この言葉は本心からのか、それとも、偽りなのか。


瀬那は自分を嘲笑うかのように情けなく思った。





「俺、アイツにあんなこと言われても、ちっとも傷つかなかったんだぜ?」





普通の人なら傷つくだろうか。泣くだろうか、怒るだろうか。
どうなるかは分からない。けれど。





仲間アイツらと一緒に居る時だけは、本来のじぶんで居られるんだ」





瀬那は悲しそうに眉毛を下げて缶を握る手に力を込める。
見失ってしまうところだった、本当の自分を。

どれが本当で、どれが偽物なのか。
間違って選んでしまえば後戻りはできない。


彼は握りしめていた缶に入ったお茶を飲み干すと、下げていた視線を元に戻し、河井を見詰めた。





「ありがとな、先生。いつも俺の話聞いてくれて」


「ふふ。私こそありがとう。私もアナタの話を聞けて嬉しいわ」


「え、何で?つまらなくないの?こんな話で」





意味が分からない、と訝しげな表情で河井を見つめる瀬那。
だが、彼女はそれも柔らかい笑みを浮かべて、そっと彼の髪を撫でた。





「アナタは一人で抱え込みすぎなのよ。たまには誰かに頼る事も覚えなさい」


「―――――…」





瀬那の髪を撫でる手を放すと、彼女は彼の手から飲み干された缶を取り、そのままゴミ箱へと歩いて行った。

そんな彼女から視線を逸らし、静かに背後へと向ける。
大分時間が経ったのに起きる気配がない眠ったままの悠梨を見て小さく笑うと、瀬那はそのまま彼女の元へと近づいた。





「なぁ、川崎…」





遠くから聞こえてくる高い笛の音。
風に乗って運ばれてくる元気な声は、保健室までしっかりと届く。





「俺は仲間を傷つける奴が大嫌いだ。……お前は一体どっちの存在なんだ?」





囁かれた彼の声は風に乗って消えていく。
スヤスヤと気持ちよさそうに眠る悠梨には聞こえてるのか…。いや、おそらく聞こえていないだろう。

そう確信した瀬那はふと微笑を零し、だが、彼女の変化に気づく。
悠梨の目元には薄っすらとだがクマが出来ていた。





「……ちゃんと寝てねェのかよ」





瀬那は僅かに表情を歪め、悠梨の髪を一度だけ撫でた。





「何で…」





その後の言葉は再び入ってきた風によって消されてしまった。

静かに閉ざされたカーテンはゆらりと揺れて止まる。
そのままそこから視線を外し、出口へと足を進めれば、その横で河井がこちらを見て微笑む。





「今日は良いの?」


「はい。ありがとう、先生。今日はあのまま先客を寝かせておいてやってください」





瀬那は馴染みある笑顔、しかし、彼本来の柔らかい笑みを残し、そのまま保健室を出て行った。
それを温かい眼差しで見送る河井。

その後ろで未だ眠っている悠梨は僅かに身じろぎ、やがて――――――。





「……瀬、那…くん……」





閉ざされた瞼の裏に映るのは、優しく微笑んだ、けれども、少しだけ悲しそうな顔をした青い彼―――――…。





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