静寂に包まれた空間で電話の鳴る音が聞こえる。

プルル…、と相手からの応答がくるのをただ待つことしか出来ない状態が続き、
時刻表示には既に1分が経過するのを表していた。





「はぁ…」





悠梨ゆうりは持っていた受話器を置くと、重たい溜息を吐いた。





「お母さん…、今何してるんだろ」





肝心な時に限って連絡が取れない母・夏苗なつえ
これは悠梨が幼い頃からの困った状態で、父も苦労していたと聞いた事がある。

これが業とじゃないから余計に質が悪い。
早く真相を知りたくて、母の口から直接真実を聞かなければ気が済まない。


悠梨はもう一度受話器を手に取り母の事務室へ、そして携帯へと再度かけてみる。
しかし、それは空しくも、彼女が出ることはなかった…。




















重たい足を引きずりながら賑やかな道を歩く。
同じ晴華学園に通う生徒達が声を弾ませて門を潜っていく。

悠梨はそんな中を紛れて歩き、下駄箱で靴を履き替えて階段へと近づく。
その時、視界に掲示板が目に入り、なんとなく覗いて見る。


するとそこには『晴華学園に空中庭園設置』と記事が書かれていた。






「空中庭園?なんでいきなり…?」





悠梨は目をぱちくりと瞬かせ、思わずその記事を凝視した。





「それ、"いきなり"じゃないよ」


「え?」





不意に後ろから話しかけられ、悠梨は驚きながら振り返る。
するとバスケットボールを片手に、首に白いタオルをかけたじゅんが此方を見ていた。





岳内たけうち君、おはよう。それってどういう事?」


「ん?そのまんまだよ。それ、春休みが始まった頃から貼られてたんだよ。建設はだいぶ前から進められてたみたいだけどな」


「ええ!?し、知らなかった…」





悠梨は淳の話を呆然としながら聞いていた。
下駄箱は誰もが必ず通る場所。それなのに気付かなかった自分は一体何なんだ…。

悠梨は若干落ち込みながらも再び掲示板へと目を向けた。
そこには完成予定日と完成予想図が写されている。
なかなかに立派な建物で、イメージとしては見た目は鳥籠だ。そして完成予定日は夏休み明けを予定している。


完成予想図は見るからに涼しそうな写真が貼られており、是非一度くらいは入ってみたい。
悠梨は完成するのを期待して楽しみを胸にしまった。





「そういやぁさ。川崎さん、あの後どうだった?」


「…あの後?」





淳が突然話題を変えてきたので、悠梨は頭の上に"?"を浮かべる。
淳はそんな彼女に苦笑すると、追い詰めるようにして一気に話しを進めた。





「ったく、本当は分かってんだろー?ほら、瀬那せなと一緒に会ったんだろ?」





「――――【Sky Blue】に」淳のその言葉は彼女にしか聞こえないほど小さいものだった。
悠梨には勿論の事聞こえたが、今の彼女にしたらその話題は最も禁句タブー

悠梨は僅かに目を曇らせ、淳を見ていた視線を静かに下げ、顔を俯かせた。
それに淳は不思議そうな顔を浮かべ、徐々に苦いものへと変わった。





「あ、あのさ…。もしかして、何かあったりとか…した?」





悠梨の顔を覗き込むようにして問いかける淳。
彼女の視界には彼の困ったような、困惑した顔が映る。





「な、何でもないよ。色々とビックリする事が多くて、ちょっと頭の整理がつかなくて」





悠梨は昨日あった出来事で受けたショックと疑惑を隠すために必死の笑顔を浮かべる。

淳はそんな悠梨を無言で見つめると、ふと息を吐き「そっか。」
それだけ零し、ふと笑った。

その瞬間――――――――――。





「コラ、岳内ー!悠梨に何しようとしてんだー!」


「いでェっ!?」





突如として聞こえた声と共に、視界に映っていた淳が苦痛を浮かべた表情をし、瞳に涙を浮かべていた。

慌てて顔を上げれば、そこには今彼を叩いたであろう右手を軽く振っている茜と、
いつも穏やかな笑顔を浮かべ、おっとりしているあやのの姿。


悠梨は目の前でおきた出来事に目を点にしたまま彼女等を見ると、二人は淳を放置して声をかけてきた。





「おっす、悠梨ー!大丈夫?コイツに何もされなかった?」


「あ、茜ちゃん…」


「悠梨ちゃんは自覚ないみたいだけど、アナタはとっても可愛いんだから。もう少し警戒心を持たなきゃダメよ?」


「あやのちゃんまで…」





悠梨は苦笑しながら頭を押さえている淳に二人に代わって謝罪した。
淳もそれほど気にした様子もなく、「悪いのは山口だから」と悠梨には普段通りに笑顔を返し、茜を一瞥した。

その視線に気づいた茜はグッと言葉を詰まらせ、悔しそうに顔を歪めるも顔を背けて謝ろうとはしない。
あやのはそんな彼女に微笑みながら何かを耳打ちすると、茜は突如逃げるようにしてその場から去って行った。





「茜ちゃん、どうしたのかな…」


「さあ。きっと何か用事でも思い出したんじゃないかしら?」


「ふうん…」





穏便な会話を続ける二人の姿を見ながら、淳はあやのから感じ取れる邪気に身震いを起こして「黒い…」と呟く。
あやのは「何か言った?」と淳に微笑みかけると、彼は茜を追うようにしてその場から走り去って行った。

全く状況が掴めない悠梨は、あやのに引かれながら教室へと向かった。


ただ、小さかったモノが大きくなっていくのを感じる。
それは隠している不安。このまま教室に言ったら彼に会う事になる。

悠梨は小さくなっていたそれらを再び重たく感じ始めると、あやのに気づかれないように小さく息を吐いた。





その一部始終を物陰から誰かが見ていた事に、彼女たちは気付かなかった。





二人の後姿を追うようにして踏み入れた教室は朝から賑やかだった。

悠梨は緊張と不安を胸に抱いたまま自分の席の隣へと目を向ける。
以前までならその座席の主を目にするだけで胸が躍り、嬉しい気持ちが跳ね上がっていた。

だが、今となっては――――――――あの出来事があってからは、それは重い感情へと変化してしまった。


悠梨は恐る恐るその席を目に映すと、ほっと安堵を漏らした。
その席、瀬那の席は空席だったのだ。


まだ何も真実を突き止められていない現状で彼と会うのは気まずい。
それに、会ったとしてもどう接したらいいのか分からない。

悠梨は今回ばかりは彼がこの場に居ない事に安心をしていた。





「…なんとかして、調べないと…」





賑やかな教室に響くクラスメイトの声に、悠梨の意の堅い言葉は静かに消されていった。



それから時間は過ぎ、悠梨は昼休みになると茜とあやのに一言告げ、昼食を取らずにある場所へと向かった。

そこは北校舎にあるパソコン室。今では3学年専用の校舎となっている場所だが、一・二学年も使用して良い
ようになっているので、悠梨は躊躇う事無くその部屋へと入った。


パソコン室には既に数名の生徒が居て、僅かな音を立てながらパソコンをじっと見つめている。
悠梨は彼等の妨げにならないように静かに空いている席へと座ると、早速インターネットを開いた。

検索する事、まずは【Sky Blue】。
悠梨は検索ボタンをクリックして出てくる検索して出てきた項目にざっと目を通していった。


だが、やはりそれだけでは彼等のファンサイトや、CDや活動内容等が大幅に出てきてしまう。
そこで悠梨は検索キーワードに新たに【accele】と入れた。

それは先日、なぎさが言っていた彼の父親が元活動していたバンド名。
迷わず検索ボタンを押すと、今度は先ほどとは違い、"あの時の事"が多く検索結果となて出てきた。





「『元accele・朝霧 蘇芳あさぎり すおう、謎の失踪』…?」





悠梨は例の事件について多々と出てきた検索結果の中で、ある一点に目が止まった。
それは渚の父・蘇芳の失踪という文字。

あの時、渚が話してくれた時には父親が失踪しているとは一言も言っていなかった。

思わずその記事をクリックして開いて見る。
するとそこには、悠梨が知らなかった内容が細かくと記されていた。



『元accele・朝霧 蘇芳、謎の失踪』


19××年11月9日。元accele・VCである朝霧蘇芳が立ちあげた芸能事務所が突如として倒産した。

最近までその有名な名に傷つけることなく立派に若き期待溢れるアーティスト達を育て上げてきた彼等だが、
この日、何の音沙汰もなくその名を闇へと落とした。
理由は不明。多くの関係者、そして知人等に話を伺ったものの、その理由を知る者は誰一人として居なかった。


そしてその日を持って、今まで彼が経営していた事務所【company事務所】に所属していた者達は、【Pectill事務所】、
そして【ブラウザー事務所】の二つの場所へと移籍した事を明らかにした。

この二つの事務所は朝霧蘇芳と馴染みある者が経営しており、はっきりとはされていないが、彼の意思を尊重した結果として
【company事務所】に所属していた者達をこの二つの事務所に移籍させたと考えられている。


しかし、突如として起こったこの事件から早二年が経った今も尚、朝霧蘇芳の消息は掴めていない。
真実を共に姿を消した彼は、今や何処へ――――――…?』





「…どうなって…?」





悠梨は混乱する頭で必死に自分の母親の事を考え出した。

母・夏苗が今の会社の社長に就任したのは悠梨が保育園に通い始めて二年程経った頃からだった。
その時から母親と一緒にいる時間は減ってしまったが、度々彼女に連れられて会社へ入ったことはある。


【Pectill事務所】に行けば、多くの関係者と、そこに所属する光輝くアーティスト達と会う機会があり、
多くの今を騒がせる人気な存在と接していた。
母が居られない時は、父親の情雄なさおが面倒を見てくれていた。

だが、悠梨が小学高学年になってから、夏苗は急に悠梨を会社へと連れて行かなくなった。

それを不思議に思ってはいたものの、母に迷惑をかけたくないと気遣っていた悠梨は強く彼女に聞かなかった。
情雄も何も言わなかった。だから気にする程の事じゃないかもしれない。


まだ幼かった悠梨はそうして解決してしまった。
しかし、悠梨が知らない所で密かに起きていたのだ。

―――――――あの大きな事件が。



今見ている記事が書かれたのは今より三年も前だ。
そうなると、悠梨や渚達が中学生になったばかりの頃、この事件は起きてしまった。

そしてこれまでの訳五年もの間、渚は父親と会えていない。
そして、その存在がどうなっているのかさえ、分かってはいないのだ。





「お母さん…っ」





アナタは何を知ってるの?何を隠しているの?
悠梨は連絡のつかない実母の姿をまぶたの裏で思い浮かべた。

その瞬間、悠梨の中で不安が過る。

まさか、またこのような事件に関わっているのだろうか。
もしかしたら、蘇芳と連絡がついているのか。


もしそうなら、一刻も早く真実を聞きたい。
そして彼の居場所を教えてほしい。

そうすればきっと、渚の不安が少しでも和らいでくれるかもしれない。






「今日、絶対にお母さんと会わなくちゃ」





悠梨は意を決し、今日学校が終わったらそのまま母の会社に行こう。
そして何としても彼女と連絡をつけなければ。

再びこの事件の事を詳しく知ろうとマウスを動かそうとした時、不意に直傍から声が聞こえた。





「あ。この事件、僕も少しだけ聞いた事ある」


「えっ」





いきなり横から話しかけられた悠梨は、驚きのあまり勢いよくそちらへと顔を向けた。
するとそこには同じクラスの委員長・さとるがじっと画面を見て頷いていた。

悠梨は数回瞬きをして聡を見つめると、彼もまた彼女ににこりと微笑み、隣のイスに腰を下ろした。





「この事件、気になるの?」


「え…」


「僕の父さんの弟さん、実は記者をされててね。この事件の当初の記事を担当していたんだ」





悠梨は彼の言葉に目を大きく開いた。
聡は素直に感情を表に出す悠梨を可笑しそうに笑い、穏やかな口調でその内容を続けた。





「この時、僕等はまだ小学生…くらいだよね。それに、僕自身アイドルとかに興味なくてさ。
 あまり気には留めていなかったんだけど、叔父さんがすごく一生懸命になって話をしていたからさ」





聡はその時の事を静かに話し始めた。

叔父は【accele】の大ファンで、よくコンサートにも行っていた。
そして彼等が解散し、引退した後作られた【company事務所】の存在を知った時の喜びよう。

あの蘇芳がまた新たに素晴らしい存在を育て上げていく。
また彼等の勇姿が見られる。叔父は本当に嬉しそうだった。


しかし―――――――…。





「彼等の大ファンで記者の伯父でさえ、付きとめられなかったんだ。この時の真実は」





聡は悠梨が映す画面をじっと見つめて呟いた。
そこに浮かびあがる『失踪』の文字。

聡は苦笑交じりにその記事から目を逸らし、悠梨を見詰めた。





「蘇芳さんは今も行方不明。彼が会社を立ち上げた時には既に結婚もされていて、息子さんも居たみたい」





悠梨は僅かに肩を揺らして彼を見詰めた。
聡はそんな悠梨を目を細めて見つめ、優しい光を浮かべた。





「君が何故この事件を必死な顔をして調べているのかは分からないけど…。あまり自分を責めたりしちゃダメだよ」


「…っ!」





聡は柔らかく微笑むと、静かにイスから立ち上がった。





「君は他人のために必死になりすぎて、見てて危なっかしい」


「え…」


「――――って、君の友達が言ってた」


「……」





聡はにこりと微笑むと、今度こそパソコン室を去って行った。

悠梨は彼が残して行った言葉の意味が分からず、首を傾げる。
友達、それは茜やあやのの事だろうか。


悠梨は今度二人にお礼を言わなくてはと胸中で笑い、再びパソコンへと向きなおった。




















時刻は放課後になり、悠梨は茜とあやのに挨拶をして早々に学校を飛び出した。

結局、放課後まで学校に居たが瀬那が姿を現すことはなかった。
淳も「しばらくアイツ休みそう」と苦笑していたが、悠梨はそれは自分のせいなのではと、また一つ不安を抱いた。

だが、今はそれをなくすために、そして母の疑惑を晴らすためにも彼女に会って話をしなくてはいけない。
悠梨は結局今日も真実を突き止められなかった事での重たい足取りで帰路を辿った。


坂道を下り、交差点を過ぎ、商店街へと入る。
賑やかな雰囲気に僅かに心が軽くなった悠梨は、ふと目に映った本屋にぼんやりと足を進めた。

足を踏み入れたところで、おっとりした声で店員からの「いらっしゃいませー」と声が耳に入る。

そのままコーナーを示す看板を見ながら雑誌置きばへと行くと、サラリーマンや同じくらいの学生が立ち読みをしていた。
悠梨も空いているスペースを見つけて、そこからふと目にとまった雑誌を手に取る。
それはアイドルが特集になっている女性に大人気の雑誌だった。

雑誌名は【ポップアイドル】
嬉しい事に、今回の表紙はS.Bだった。





「…カッコイイ」





じっと表紙を見つめながらポツリと零した言葉。
その直後、隣からバサリと物音がし、振り返った。





「え…」





その瞬間視界に映る、見覚えのある人。
しかし、その人は初めて見る姿――――――普段目にする時にはかけていない眼鏡をかけ、僅かに顔が赤い。

そしてある意味レアな制服姿だった。





「なぎっ」





その人物の名を口にした瞬間、悠梨の口は大きな掌に塞がれ、目の前の人物を驚いた顔で見つめた。
その人物・渚は、落とした雑誌をそのままに悠梨に向かって口元に人差し指を当てて示した。

その意味を悟った悠梨は何度も頷き、彼に了解の意思を送る。
渚は彼女の意思を確認すると、不安だった表情を僅かに緩めてその手を離した。





「ご、ごめんなさい」


「否、こっちこそ。…いきなり口塞いで、悪かった」





お互い気まずそうに目を合わせないまま謝るが、それ以降どちらも口を開こうとはしない。

悠梨は目の前に大好きなS.BのNAGISAが居る事には勿論驚いているが、それよりもこの場の状況に緊張が走る。
あんな状態で別れてしまったのだ。笑顔で話せる状態ではない。

悠梨は目をあちらこちらへと泳がせながら必死に話題を考えた。


辺りは穏やかな音楽が流れているだけで、ほとんど話している者はいない。
それにより、余計に焦りを覚える悠梨を察してか、ポツリと頭上から声が降ってきた。





「…あんま、気にする事ない…からな」


「…え」





その声に俯いていた顔を上げる。
視界に映った渚は未だにそっぽを向いていて目を合わせようとはしないが、必死に言葉を探しているように見える。

悠梨は今日調べた事で新たに知った情報を頭の中で整理しながら渚を見つめていると、不意に彼と目が合い
「あ、あんまこっち見んなっ」と思い切り顔の向きを変えられてしまう。

同時にグキリと嫌な音がしたのは言わないでおこう。
悠梨は鈍い痛みを感じながらもどうしたらいいのか分からず、ただ渚の次の言葉を待つことにした。





「……」





しばらく無言の状態が続いたが、静かに自分の顔に触れていた渚の手が離れていく感覚を感じたので
悠梨はゆっくりと彼の方へと視線を向けた。

再び見た渚の表情はやはり元気無く、何処か申し訳ない気持ちが含まれていた。


何か言わなければと思うも、彼に何を言えばいいのか。
何て声をかけるべきかと悩む悠梨に、渚が先に声をかけてきた。





「この前は、変な事になって悪かった」


「……え」


「アイツ等も…、俺の事情、知ってるから。だから、あんな言い方になったんだと、思う…」


「…NAGISA君…」





渚は曇った表情のまま下げていた視線を上げ、悠梨へとうつす。
お互いの視線が混じり、緊張が伝わってくる。

悠梨は渚の真剣な眼差しがとても強くて、思わず身震いが起きそうになったが必死で押さえて彼の言葉に耳を傾けた。





「あの時は変な事言って悪かった。アンタは直接関わってたワケじゃねーのに、嫌な思いさせたな」


「…っ、そんな事…!」





否定しようと言葉を強めて彼に言おうとすると、その口を渚が制止するよう人差し指を向けた。





「アイツ等には俺から言っとく。だから…アンタはもう、そんな顔、しないでくれ」


「―――――っ」





酷く優しい声だった。
普段耳にする彼の歌声とは若干違い、彼の本心が直接伝わってくるようだった。

自分の方が辛い状況なのに、こんな時まで他人を心配するのか。
どうして、そんなに悲しい笑顔で、優しい言葉をかけられるのか。


悠梨は「ごめん」と残して去って行った渚の後姿を見えなくなるまで見送ることしか出来なかった。


不甲斐ない自分。何も出来ない無力な自分。
大切な家族が行方不明になっていて、心配でないはずがない。

悠梨は力強く拳を握ると、そのまま本屋を飛び出し、来た道を戻った。



交差点の傍にあるバス停に向い、ちょうどやってきたそれに乗った。
目的地は勿論の事、母が経営する『Pectill事務所』。

焦る感情をなんとか抑え、目的地へと到着すると悠梨は久々に訪れるそこのカウンターへと向かった。





「あのっ。お母さん…川崎夏苗は居ますか?」





受付にいた女性二人に声をかけると、彼女たちは同時に驚きを見せた。





「あら…。アナタ、もしかして社長の娘さん?」


「嘘、悠梨ちゃん?お久しぶり。しばらく来ないから、どうしてるのかと思ってたのよ」





彼女たちは悠梨が幼い頃からここに通ってい顔見知りのようで、悠梨が説明するまでもなく話しを通してくれた。





「あのっ。実は急用で母に会いたいんです。…お母さん、今居ますか?」


「実はね、社長…"新しいアイドルを探してくるわ!"とか言ってしばらく戻られないのよ」


「聞いていた話では今日か明日中には戻られる予定になってるんだけど」


「そ、そんなぁ…」





悠梨は盛大な溜息をついてカウンターに項垂れた。
それを苦笑交じりに見つめる二人。

だが、悠梨は負けるものかとキッと二人を強い眼差しで見つめた。





「あのっ、椎名さんは?椎名さんは居ますか?」


「え、椎名さん?」


「彼なら確か事務所の方に…」





悠梨は食いつくように彼女等にせがんだ。





「お願いですっ。椎名さんとお話しさせて下さい!」


























「お久しぶりです、悠梨さん。とてもお綺麗になられて…」


「椎名さん!突然で申し訳ないのですが、直に母に連絡とれないでしょうか」


「え?」





全くゆっくり話をする様子じゃない悠梨に、椎名は目を点にして彼女を見つめた。





「あ、あの、悠梨さん?社長は今外出されていまして。……もしや既に電話されています?」


「はいっ。何度しても出ないし連絡がつかないので、忙しいところを申し訳ないのですが椎名さんのお力をお借りしたく」


「…社長、何をされているのですが。全く…」





椎名はため息をつきながら額に手を当てて首を振った。
どうやらこれを見るに、彼もまた同じことを経験した事があるらしい。

椎名は下がりかけた黒縁眼鏡を直すと、キリッとした面持ちで悠梨に向きなおり、





「分かりました。悠梨さんの頼みなら断れませんね。少々お待ち下さい。直ちに社長を強制帰還させますので」


「は…」





眼鏡を怪しくキラリと光らせた椎名は、若干黒いオーラを放ちながら退出した。
悠梨は懐かしの再会をした彼が少しばかり変わっていたので、冷や汗を浮かべて彼が戻るのを待った。

それから五分もしない内に椎名は戻ってきて、悠梨に満面の笑みを浮かべて告げた。





「只今、社員数名が社長の居場所を突き止めたので、直ちに帰還頂くことになりました。
 あと20分ほどかかってしまいますが、それまで此処でお待ち下さい」





完璧な達振る舞いに、仕事をこなして見せる椎名に、悠梨は唖然としていた。
昔から彼はとても頼もしい存在で、夏苗も彼を気に入ってはいたが…。

最早彼は執事のような振る舞いを今や見せている。
悠梨は彼がここまで昔と変わっている事に、実母の日頃の行いに疑いを抱き始めた。


それから20分が経とうとした時、部屋にノック音が鳴り、ドアが開いた先には彼女が求めた母がそこには居た。





「お母さん!」


「っ、悠梨!」





悠梨をその眼に納めた夏苗は勢いよく彼女を抱きしめ、頬擦りをかます。
それに踏ん張って耐える悠梨は、なんとか母を落ち着かせると早速と言わんばかりに話をはじめた。





「もう。お母さん、今まで何処に行ってたの?」


「あ、ごめんね。実は大阪やら静岡やらと方々を転々としていたのよ」


「そ、そんなに?」


「だって久しぶりに仕事が一段落したから、自分でダイヤの原石でも探してみようかなと思って」





彼女が言うダイヤの原石とは、先ほど話で聞いた新しいアイドルの事だろう。
機嫌が良いところを見ると、見込みのある新人を見つけてこられたのかもしれない。

悠梨はそんな母にやっと会えたことへの安心した笑みを浮かべると、椎名が出してくれた紅茶を一口飲んでから本題へと移した。





「あのね、お母さん。ずっと聞きたかったことがあるの」


「ん?何、悠梨。何でも話してごらん。お母さんに話せる事だったら何だって教えてあげる」





にこにことご機嫌な様子な夏苗に対し、悠梨は僅かに曇りを見せた。
そんな娘に気づいた彼女は数回瞬くと、静かにティーカップをテーブルに置いた。





「…何かあった?」


「……あの」


「言ってごらん。アナタがそんな顔するなんて、よっぽどな事なんでしょう?」





既に察しがついているのか。夏苗は静かに悠梨が話すのを待った。

やたらと時計の針が動く音が大きく聞こえる。
そんな中、悠梨は久しぶりに出来た親子二人だけの空間で、意を決して話し始めた。





「単刀直入に聞きます」


「うん」


「お母さん。元『accele』の蘇芳さんの会社を潰したって話し…」


「!」





夏苗はその瞳を大きく開いて悠梨を見詰めた。

一気に張りつめた緊張と不安。
悠梨は夏苗に視線を合わせると、迷う気持ちを静めて彼女を見詰めた。





「…何処で聞いたの。そんな話」


「…ッ」





いつもは見せない鋭い視線を送ってくる夏苗に、悠梨は僅かにたじろいだ。
まるで此方の心境を見抜くような真剣な眼差しを送る母に、躊躇いは一切感じられなかった。





「…っ、友達が、苦しんでるの」


「―――――」


「お父さんの行方が分からなくて、不安で、辛そうなの…」


「悠梨、アナタ……」





夏苗は何かに気づいたように目を張った。
それに気づかないも、悠梨は震える声で続ける。





「お願いお母さん。本当の事を教えて…っ。お母さんなら知ってるんでしょ?蘇芳さんの居場所」


「っ」





不安定に揺れる瞳を向け、懇願するように涙腺が浮かぶ眼差しで見つめてくる悠梨。

夏苗は言葉を詰まらせ、ぐっと押し黙る。
やっと落ち着いてきた話題を再び騒がせるのは考えものかもしれない。

しかし、悠梨は実際に目の当たりにしたのだ。
渚自身が、今も尚、父親が生きていることを信じ、諦めていない事に。

そしてそんな彼の意思を強く支えているS.Bの仲間たち。


悠梨は溢れかえりそうになる言葉を我慢し、実母を強く見つめた。





「当時の事に直接関わってない身分として、迷惑な行動をしているのは承知です。
 でも、悲しんでる人がいるの…っ。待ってる人が、居るの…っ。だから……!」





ギュッと握っていた拳を強く締め、その場で頭を下げた。





「お願い、お母さん。少しでいいの…!NAGISA君を安心させたげられるだけの情報をください!」


「悠梨…」


「っ、お願い…します」


「アナタ…。やっぱり、彼等と関わりがあるのね?」






悠梨は夏苗の問いかけに黙ったまま頷いた。
ひっそりと溜息を漏らし、再び紅茶を一口啜る。

夏苗はティーカップを置くと、何かを諦めたように苦笑を見せた。





「その話方からして、何かしらは自分で調べたようね。悠梨」


「はい…」


「だったら分かると思うけど、当時関わってないアナタには無関係の事。簡単には話せないわ」


「っ」





強い圧力をかけるように話す夏苗は、悠梨の表情が悲に染まるのを見抜く。
だが、それでもその声の強さを変えようとはしない。





「これは私達大人の世界の問題なの。子供のアナタ達に話たところで、余計な騒ぎにならないとは思えない」


「…っ、はい」





強いプレッシャーに酷く弱弱しい声しか出せなくなりつつある悠梨は、必死で耐えるように俯く。
そんな娘を目を細めて見据えていた夏苗だが、ふと小さく笑みを零し、沈む悠梨に声をかけた。





「あれだけ周りには気を付けて、と注意したのに…。やっぱり聞かれてたのね、東一とういちったら」


「…え?」






突然声のトーンがいつもの不機嫌なものへと戻った彼女を不思議そうに見つめる悠梨。

夏苗はフンと鼻を鳴らしながら残りわずかとなった紅茶を飲み干すと、不意にイスから立ち上がり、
突然机の上に用意されている電話の受話器を取って、何処かへとかけ出した。


そして3コールが鳴り終わった後、その相手は確かに出て。
瞬間、夏苗の頭から鬼の角が出たかのように彼女の口から驚くべき罵声が聞こえた。





「この、馬鹿イチ!なぁに盗み聞きされてんのよ、アンタは!!こっちはアンタのお陰で可愛い娘に疑いかけられてるのよ!?」


「…お、お母さん?」





受話器が壊れてしまうのでは、と心配になるくらいにそれを握りしめ、電話の向こうにいる相手に怒鳴り散らす母。
悠梨はどうしてしまったのか、とアワワと焦り、どうする事も出来ないのでそのまま母が話し終えるのを待つことにした。





「そうよ!だからあの時の話がアンタの親友の息子にバッチリ聞かれてたらしいのよ!…はあ!?そんなの知らない?
 当たり前でしょ!あの子たち、アンタにそんな事言ってないみたいだからね!反省しなさい、この鈍感男!!」





しばらくの間母による一方的攻撃が続くと、徐々に疲れ始めた夏苗は最後に「二度目は無いわよっ」と
ドスの効いた声で相手を脅し、そのまま問答無用で電話を切った。

若干疲労を見せる彼女に、悠梨は躊躇いがちに声をかける。
すると夏苗は苦笑を浮かべ、





「ごめん。詳しい話は今度してあげる」


「え?」





悠梨は彼女の言葉に疑問を浮かべると、夏苗は穏やかな笑みを浮かべ、





「今度、家に彼等を連れてきなさい」


「それって…」





表情に明るさが戻りつつある悠梨に、夏苗は笑顔で頷いた。





「正直、気が進まないけど…。アナタの友達を悲しませたままじゃ、母親の名がすたるものね」


「っ、お母さん!」





悠梨は今度こそ笑顔で彼女に抱きついた。





S.Bかれらの社長には私から言っとくから、次の休みにでも連れて来て頂戴」


「うんっ。分かった」






悠梨は嬉しそうに母に頷き、これでやっと彼等とちゃんと話せる。

明日も学校はある。
もしかしたら、明日には瀬那も来てくれるかもしれない。

そんな期待を込め、悠梨ははたと気づいた疑問を口にした。





「そういえば…、お母さんとS.Bの社長さんってどんな関係なの?」





夏苗はふふふと怪しい笑みを浮かべると、自分の口元に人差し指を立て、





「それは、彼等が来てからのお楽しみ」


「…はぁ」





結局全て謎のままだが、近いうちにそれは明らかにされる。

悠梨は既に暗くなってしまった夜の中を椎名に自宅まで車で送ってもらい、
その日は安らかな眠りへと着いた。








































翌日、朝早くから清々しく目を覚ませた悠梨はテキパキと着替えを済ませ、朝食とお弁当の用意をし、
時間になると足早に学校へと向かった。

どうか瀬那が登校してくれますように。
交差点までくると賑やかさが一気に上がる。


そんな中、彼女の背中に同じくらい元気な声がかかった。





「おーい!悠梨ー!」


「あ。政史まさし君っ」





前と同じように彼女の元まで走ってきた政史は、爽やかな笑顔で悠梨に挨拶をした。
それに悠梨も明るく返す。

すると、政史は一瞬驚きを表し、直にいつもの笑みを浮かべた。





「今日は一段と元気じゃね?何かいい事でもあった?」


「うんっ。すっごくいい事!…だから早く会いたいな…」


「――――…」





悠梨は本当に嬉しそうに笑う。
隣からそんな彼女を見ていた政史は、彼女に気づかれない様にその目つきを鋭くした。





「そういえば、政史君とちゃんと話すの久しぶりな気がする。元気だった?」


「お、おう!この俺が元気がない日なんてねーっつーの!」




政史はいきなり話しかけてきた悠梨に直様いつもと同じ笑みを浮かべてその話に乗る。

だが、たまに浮かべるその表情はまるで誰かを射抜くような。
そんな冷たくも鋭い感情が込められた醜いものだった。



それから政史とは下駄箱で別れ、元気よく教室に入る。
期待を込めて向けた視線の先は、まだ空席のまま。

時計を見ればいつもよりは幾分か早い登校なため、クラスに居る生徒の数もあまり多くはない。
茜は朝練あるため既に登校しているようだが、淳やあやのはまだのようだ。


悠梨はまだ大丈夫。時間はあるもの。
自分を落ち着かせ、今は空席のままの彼がどうか来てくれることを願い、窓の外に広がる空を見詰めた。

長針が動くたび、生徒の数は増えていく。
次に入ってくるのは彼か、と胸を弾ませて待つ悠梨だが、朝のHRが始まってからも瀬那が来ることはなかった。




















「ど、どうしてですか…?」





悠梨は独り言のように机に突っ伏して力なく呟いた。
傍にはいつもの茜とあやの。そして淳が苦笑して彼女を見下ろしている。





「しょうがないよ。嘉山君って、色々と忙しそうじゃん?」


「そうね。最近あまり学校に来ないし、先日も来て早々早退してたわ」


「大丈夫だよ!明日にはちゃんと来るって!先生もそう聞いたって言ってたじゃん」


「うん」





皆に励まされながら悠梨は力なく笑った。

折角真実を話してもらえるチャンスが出来たのだ。
一刻でも早く伝えたい。

その思いはとても大きいのだが、自分勝手に彼に連絡しても、彼にだって仕事があるのだ。
迷惑をかけたくなんてない。

悠梨は密かに溜息を漏らすと、時計を見て三人に慌てて声をかけた。





「あ、茜ちゃん、岳内君!部活始まっちゃうよ!早く行かなきゃ!」


「え?あ、ホントだ!ごめん、悠梨。あたし行くわ!」


「うん!」


「ヤッベ、俺も!それじゃあ、また明日、川崎さん!」


「二人とも頑張ってね!」





慌ただしく出て行った二人を笑顔で見送ると、悠梨は隣にいるあやのへと目を向けた。





「あれ?あやのちゃん、今日用事があるとか言ってなかったっけ?」


「うん。でも、まだちょっと時間があるから。悠梨ちゃんが残るなら私も居ようと思って」


「あ、そうなんだ。気を遣わせちゃってごめんね。私なら大丈夫だから、あやのちゃんは先に帰ってて」


「え、でも…」


「私、ちょっと調べ物があるからパソコン室に行こうと思って」





悠梨は荷物をカバンに詰めながら笑顔であやのに言うと、彼女も分かったと頷き、可憐に去って行った。





「さて」





悠梨は誰も居なくなった教室を見渡し、静かに携帯を開いた。

夕陽の光が窓から入り込んでキレイに教室を染めていく。
ピタリと閉まった教室のドアにもそれは反射し、辺りを明るい色で包んで行く。





「あ、あった」





悠梨の携帯の画面に映るのは瀬那のアドレス。
電話は迷惑になってしまうかもしれない。そう思った悠梨はメールを送ってみることにした。

ちゃんと読んでくれるだろうか。
返事を返してくれるだろうか。

そんな不安が過るも、悠梨は意を決して送信ボタンに指を向けた。
その時―――――――。




ピッ。






「え…」






視界に映る自分以外の人の指。
それは彼女の手に重なり、送信ボタンではなく電源を押していた。

驚いた悠梨は瞳を揺らしながら背後へと振り返る。
するとそこには、背にピッタリとくっついた政史がにこやかに笑って見下ろしていた。





「ま、政史…君?」





何故だかドクリと胸騒ぎが起こる。
不安定に揺れるこの騒ぎはいったい何なのだろうか。

悠梨はワケが分からないまま政史から距離をとるため離れようとするが、その前に彼により携帯を奪われ、
取り返そうと伸ばした手は、まんまと彼に捉えられ、そのまま視界はがくりと世界を変えた。





「え…」





背中に伝わるる冷たく、そして堅い感覚。
そして視界に映るのは政史と、そして不自然な事に教室の天井。

意味が分からない。
悠梨は困惑した脳で辺りを見渡すと、自分が今どんな状況なのかを徐々に確信しはじめた。





「悠梨」


「っ!?」





聞こえた声はいつもと比べ物にならないほど低く、そして直傍で聞こえた。
瞬間、恐怖と不安が一気にのしかかってきた悠梨の元に、政史の強い圧力がかかり、彼女の身動きを完全に封じた。





「ま、さし…君?」


「お前は誰にも渡さねぇ…」


「―――――!!」





驚がくに満ちた瞳には、最早政史しか映っていなかった。

教室には誰一人もおらず、二人だけの空間。
無音の中をピッタリと閉ざされたドアが、僅かに震えただけだった…。





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